陸奥鉄道の開業とは? わかりやすく解説

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陸奥鉄道の開業

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/17 15:35 UTC 版)

陸奥鉄道」の記事における「陸奥鉄道の開業」の解説

陸奥鉄道計画1913年大正2年鉄道院技師佐山政義が敷設予定線測量の為青森訪れた際、五所川原町中心とした鉄道事業採算がとれることに注目し鉄道院退官再度青森訪れ地元有力者集めて鉄道敷設必要性説明したことが始まりである。1915年大正4年4月南津軽郡光田寺村-西津軽郡舞戸村間、南津軽郡藤崎村-中津軽郡和徳村間、北津軽郡五所川原町-北津軽郡金木村間の鉄道免許状下付された、佐山第1期工事川部より藤崎板柳鶴田をへて五所川原まで第2期工事五所川原-より木造鰍沢まで第3期工事五所川原-金木藤崎-弘前計画し総工費150万円見積った。しかし頓挫した津軽鉄道参画していた佐々木嘉太郎採算重視することを主張したため鉄道敷設区間川部-五所川原間に変更し1916年大正5年3月起業目論見変更認可された。資本金60万円になることから中央資本投資拒否して地元資本1916年大正5年4月陸奥鉄道株式会社設立された。役員津軽地方名士たちが名を連ね社長に佐々木嘉太郎北津軽郡五所川原町)、取締役には津島源右衛門北津軽郡金木村)、平山為之助北津軽郡栄村)、平山浪三郎北津軽郡五所川原町)、菊池九郎弘前)、安田才助(北津軽郡板柳村)、佐藤勝三郎南津軽郡藤崎村)など、ほかには東京佐山政義、佐山同じく鉄道院米子建設事務所長の三宅次郎がいた。株式申込は順調で1000上の大株主佐々木嘉太郎佐藤勝三郎平山浪三郎菊池九郎安田才助であった1917年大正6年2月着工となり、三宅次郎技術主任を、佐山政義が補佐をして弘前堀井組の請負により工事がされた。平坦な平野部トンネルがなく工事は容易と思われたが工事は遅れがちであった。それは堀井組は建築が主で土木専門であったこともあるが、用水路の付替が多くまた橋梁工事大小120箇所に及ぶなど工事困難にした。さらに第一次世界大戦の影響物価高騰したため第五十九銀行佐々木銀行より借り入れることになった。 ようやく1918年大正7年7月20日竣工し9月25日川部 - 五所川原間が開業して貨物旅客とも順調に推移してきた。1921年大正10年)に会社貨物輸送奨励のため輸送業者対し交付金制度設けた。ところが同年鉄道省所有貨車配車されない事態発生し滞貨がおきた。これは奥羽線でも輸送量増えていたため陸奥鉄道配車する余裕なくなったためであった年々増加する貨物及び旅客量に対し車両増備したものの一企業では賄えない状況になっていたので国有化要望出てくるようになっていたが、関東大震災影響のため中断余儀なくされた。

※この「陸奥鉄道の開業」の解説は、「陸奥鉄道」の解説の一部です。
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