陸奥相馬氏の残映
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/15 02:41 UTC 版)
中村相馬氏の戦国大名としての意地を思わせる相馬野馬追が現在でも行なわれ、後世に相馬氏の勇壮さを示しているが、一説にはこれが繋ぎ馬紋の原型になったともいう[要出典]。この繋ぎ馬紋は今日でも築土神社や神田明神など、平将門を祀る諸社で社殿の装飾などに用いられている。 相馬中村藩の最後の藩主となった相馬誠胤は、明治維新後のお家騒動として世情を騒がせた相馬事件の張本人として有名になった人物である。誠胤を精神障害を理由に押し込めにした家族と、誠胤への忠節を尽くす旧藩士の錦織剛清が数度にわたって法廷で争ったこの事件は、後に座敷牢を実質的に合法化した精神病者監護法の成立に影響した。 第33代当主・相馬和胤の母・雪香は尾崎行雄の娘、妻・雪子は麻生太郎の妹である。 毎年、旧相馬中村藩領で行われる相馬野馬追では藩主であった相馬氏の当主が総大将の役を務めると決まっている。しかし、近年(2015年現在)は当主の名代として当主の子が務めることが多い。 旧相馬中村藩領は、平成23年(2011年)の東日本大震災で打撃を受けた上、その一部に建つ福島第一原子力発電所の事故によって小高以南が立入禁止区域となった。これに伴い、旧藩主家とその一族は一時北海道へ移った後、第34代・相馬行胤の代になって広島県東部にある神石高原町へ集団移住した。
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