創刊と盛衰
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「講談社X文庫ティーンズハート」の記事における「創刊と盛衰」の解説
この項の内容は主に、企画部の作家であった花井愛子、皆川ゆか、津原やすみ(津原泰水)の発言に基づく。 1984年、講談社X文庫創刊。ノベライズの文庫であった。 この立ち上げにコピーライターとして関わった花井愛子が、続けてここから刊行されるノベライズを受注、その伝手から新規企画ティーンズハートへの小説執筆を依頼された。1986年初冬、既に第2回までのラインナップが決定していた時期である。この時点での企画は「X文庫のブランドはそのままにして、ノベライズのほかに、オリジナルの小説をティーンズハートのサブブランド名でリリースしていく」というものであった。 1987年2月、ティーンズハートレーベル創刊。 矢沢翔名義でティーンズハートで二冊執筆した大森望曰く、ティーズハートは竹田将の持ち込み企画だった。 高岡みちしげ『ときめいてチャンピオン』、三好礼子『風より元気!!』、森脇道『少女探偵に明日はない』、矢沢翔『テルアキ : 風のチェッカーフラッグ』、吉田ちか『初恋♥スクーターロード』の5冊である。バイクやミステリを題材にした主に三人称の小説という、後のレーベルの傾向とは程遠いラインナップとなっている。 創刊2箇月のラインナップについて花井は「ターゲットの絞り込みがハンパ」「カバーのデザインが地味」だったと評価している。花井は、既に隆盛を極めていた集英社コバルト文庫の傾向と、当時並行して執筆していた少女漫画原作の経験を踏まえ、自著をプロデュースする。ターゲットはコバルト文庫と競合しない、「いままでマトモに活字の本を読んだことがない15歳中3少女」に設定された。後に皆川は花井より、コバルト文庫に対しての二番手戦略だったと聞かされたという。 この戦略が当たり、またまもなく花井は複数ペンネームを使い分けることで刊行ペースを上げる。毎月の新刊の半数が花井の著作という状況となり、また他の作家もこの方向性に足並みを揃えることで、レーベルのカラーが定まった。 立ち上げから数箇月で急速なブームとなったことで早々に販売規模が拡大され、企画部は新刊点数の確保に難渋するようになる。 皆川のデビュー作は、6月の他編集部への原稿持ち込みから紹介、改稿を経て、9月には刊行されている。1989年デビューの津原は、ライターとして所属していた事務所への「少女小説が書ける人はいないか?」との打診に応じて提出した冒頭13枚のサンプルがそのまま採用されデビュー作となった。 また秋野ひとみ、青山えりか、小林深雪は、企画部と縁のあったホットドッグプレスで執筆していたライターであった。 皆川は後にこの状況を、「持ち込みの新人やライターといった有象無象へ無理矢理書かせて、実戦投入」と表現している。「粗製濫造」と評される状況である。 また、読書慣れしていない少女たちにも読みやすいものを目指した作品群は、時を経ずして読者層の年齢を押し下げた。読者層は当初の中高生から小中学生へと移行し、編集方針も低年齢層に迎合するようになる。以降のレーベル低迷の要因として、この流れが指摘される。 読者層が購買力の低い低年齢層へと移ったことで、毎月の新刊が買い支えられなくなったとの指摘もある。1991年頃のことであり、バブル崩壊に伴う出版不況も状況の悪化に拍車を掛けた。 以降レーベルは低迷を続け、徐々に刊行点数と発行頻度を落とし、2006年に廃刊となる。
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