初期の収録とは? わかりやすく解説

初期の収録

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/06 08:32 UTC 版)

ヘイ・ジョー」の記事における「初期の収録」の解説

ロバーツ楽曲1965年半ばロサンゼルス音楽業界ファン獲得し1965年1966年にザ・リーヴズ、ザ・スタンデルズ、ザ・サーファリーズ、ラヴ (バンド)、ザ・ミュージック・マシーン、そしてバーズによる速いペースでの録音がなされ、この曲はあっという間にガレージロック定番になった1965年12月にザ・リーヴズによって収録される前は、ディノ・ヴァレンティとバーズデヴィッド・クロスビー両名がこの歌を普及させる手助けをしたと伝えられている。 サンセット大通り(en)にあるCiro'sというナイトクラブライブコンサート参加した際にこの曲をバーズ(まだ彼らはこの楽曲自身バージョン録音していなかった)から紹介されたザ・リーヴズは、3つのバージョンの「ヘイ・ジョー」を録音して1965年1966年リリースした。彼らの最初バージョン1965年11月-12月リリースされたが、売り上げ乏しかった。同バンド3回目の録音盤は1966年5月-6月にかけてヒットしBillboard Hot 100チャート31位、カナダRPM (カナダの音楽雑誌)チャート29となったリーヴズ盤はビルボードチャートトップ40到達したこの楽曲唯一のレコーディングとして特筆値する。 当楽曲のザ・サーファリーズの録音盤、彼らのシングル「So Get Out」のB面リリースされたものが、ロックとしての初レコーディングだと記載されることがある。しかし多く信頼できる情報源は、実際にはサーファリーズ盤は1966年からで、ザ・リーヴズの1965年オリジナル盤の後に生まれたものだと反論している。ザ・サーファリーズの録音盤リリースされ時期には幾つかの異論がある。ある情報源1965年末であると述べ別の情報源1966年6月であると述べている。ただし、ザ・サーファリーズのシングルカタログ番号であるDecca 31954を他の同時期のデッカ・レコードシングル販売相互参照すると、そのリリース時期1966年5月-6月にあたる。さらに1966年6月という発売日は、同シングルプロデューサーであるゲイリー・アッシャーウェブサイト上にあるディスコグラフィー情報からの裏付け取れている。 ザ・スタンデルズは「Hey Joe, Where You Gonna Go」と題した曲のバージョン録音し1966年アルバム『ダーティウォーター』にそれが収録された。ガレージロックバンドのザ・ミュージック・マシーンは1966年末に、遅めムーディファズ利かせた曲のバージョン録音しており、これはジミ・ヘンドリックスが後に発表するバージョンとかなり似ているロサンゼルスバンドであるラヴは、彼らのデビューアルバムラヴ』に1966年1月録音したバージョンの「ヘイ・ジョー」を入れ、これは4月エレクトラ・レコードからリリースされた。この曲は、1965年デヴィッド・クロスビーから紹介されギタリストシンガーのブライアン・マクリーン(彼は当時バーズローディー務めていた)によってこのバンド持ち込まれた。バンドメインボーカルであるアーサー・リーは後年、この楽曲カバーした大半ロサンゼルス歌手ジミー・ヘンドリクスにこの曲への興味を抱かせたのはラヴバージョンだと主張したラヴ録音したヘイ・ジョー」は、大半バージョン歌詞とは少し異な歌詞特徴となっている。例えば「銃を持って(gun in your hand)」という歌詞ラヴバージョンでは「お金持って(money in your hand)」である。バーズ録音した楽曲も、ラヴバージョン同様に変更され歌詞特徴としている。ラヴギタリストであるジョニー・エコールズは、ラヴおよびバーズ歌詞本物歌詞だと主張している。エコールズによると、ザ・リーヴズ(彼らは友達だった)はラヴが曲を演奏しているのを聞いて歌詞について尋ねてきた。リーヴズが「卑劣な手段」を使うため自分歌詞書き換えたところ、うっかり皆が知っていたバージョン書いてしまったという。 バーズ1966年アルバム五次元』 (Fifth Dimension) に「Hey Joe(Where You Gonna Go)」とのタイトル付けた楽曲収録したバーズ盤の主なボーカルデヴィッド・クロスビーで、彼はその楽曲グループ持ち込んだり、その曲をロサンゼルスのより大きな音楽コミュニティの中で普及させることに尽力したクロスビーバンド最初に結成され1964年よりその楽曲録音したいと常日頃から考えていたが、バーズ他のメンバーはその曲に熱心ではなかった。『霧の5次元』の収録セッション時までに、他の幾つかのバンドが「ヘイ・ジョー」のカバー成功収めていた。そのため、クロスビー自分バンド仲間にこの楽曲への情熱欠けていると怒ったバーズギタリストリーダーロジャー・マッギンインタビューで「クロスビーが 「ヘイ・ジョー」を持ち込んだのはそれが自分の歌だったからだ。彼はそのことを書かなかったがその曲に責任持っていた。彼は何年もそれをやりたがっていたが、我々が決し彼にそれをさせなかった。その後ラヴとザ・リーヴズの両方がそれで小さなヒットを飛ばすと、我々がその楽曲やらざるを得ないほどデヴィッド猛烈に怒った」と述懐している。 バンド内や評論家間での一般的なコンセンサスでは、バーズ盤はこの曲の完全に成功した歌唱ではなく以前ラヴやザ・リーヴズによる同楽曲録音より劣るとされた。後年、マッギンおよび同バンドマネージャーであるジム・ディクソンは、クロスビー声量パフォーマンス攻撃的な主題伝えられるほどパワフルではないと批判し、この曲を『霧の5次元』に収録してしまったことを後悔していると表明した。後にクロスビー自身もその曲の録音自分側の失敗であることを認め、「間違っていたよ、私がそれをやるべきじゃなかった。誰だって間違い起こすものだ」と語った。 この楽曲1966年から1967年にかけてバーズライブコンサートで歌うレパートリー中心的存在となる予定だった。バーズはまたモントレー・ポップ・フェスティバルでの自分達の演奏にこの曲を入れ、それは同フェスCDボックス1992年)ほか同フェスコンプリートDVDボックス2002年)に収録されている。

※この「初期の収録」の解説は、「ヘイ・ジョー」の解説の一部です。
「初期の収録」を含む「ヘイ・ジョー」の記事については、「ヘイ・ジョー」の概要を参照ください。

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