初期の収録
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ロバーツの楽曲は1965年代半ばのロサンゼルスの音楽業界でファンを獲得し、1965年と1966年にザ・リーヴズ、ザ・スタンデルズ、ザ・サーファリーズ、ラヴ (バンド)、ザ・ミュージック・マシーン、そしてバーズによる速いペースでの録音がなされ、この曲はあっという間にガレージロックの定番曲になった。1965年12月にザ・リーヴズによって収録される前は、ディノ・ヴァレンティとバーズのデヴィッド・クロスビーの両名がこの歌を普及させる手助けをしたと伝えられている。 サンセット大通り(en)にあるCiro'sというナイトクラブのライブコンサートに参加した際にこの曲をバーズ(まだ彼らはこの楽曲の自身のバージョンを録音していなかった)から紹介されたザ・リーヴズは、3つのバージョンの「ヘイ・ジョー」を録音して1965年と1966年にリリースした。彼らの最初のバージョンは1965年11月-12月にリリースされたが、売り上げは乏しかった。同バンド3回目の録音盤は1966年5月-6月にかけてヒットし、Billboard Hot 100チャートで31位、カナダのRPM (カナダの音楽雑誌)チャートで29位となった。リーヴズ盤はビルボードチャートのトップ40に到達したこの楽曲唯一のレコーディングとして特筆に値する。 当楽曲のザ・サーファリーズの録音盤、彼らのシングル「So Get Out」のB面でリリースされたものが、ロック曲としての初レコーディングだと記載されることがある。しかし多くの信頼できる情報源は、実際にはサーファリーズ盤は1966年からで、ザ・リーヴズの1965年オリジナル盤の後に生まれたものだと反論している。ザ・サーファリーズの録音盤がリリースされた時期には幾つかの異論がある。ある情報源は1965年末であると述べ、別の情報源は1966年6月であると述べている。ただし、ザ・サーファリーズのシングルのカタログ番号であるDecca 31954を他の同時期のデッカ・レコードシングル販売と相互参照すると、そのリリース時期は1966年5月-6月にあたる。さらに1966年6月という発売日は、同シングルのプロデューサーであるゲイリー・アッシャーのウェブサイト上にあるディスコグラフィー情報からの裏付けも取れている。 ザ・スタンデルズは「Hey Joe, Where You Gonna Go」と題した曲のバージョンを録音し、1966年のアルバム『ダーティウォーター』にそれが収録された。ガレージロックバンドのザ・ミュージック・マシーンは1966年末に、遅めでムーディでファズを利かせた曲のバージョンを録音しており、これはジミ・ヘンドリックスが後に発表するバージョンとかなり似ている。 ロサンゼルスのバンドであるラヴは、彼らのデビューアルバム『ラヴ』に1966年1月に録音したバージョンの「ヘイ・ジョー」を入れ、これは4月にエレクトラ・レコードからリリースされた。この曲は、1965年にデヴィッド・クロスビーから紹介されたギタリスト兼シンガーのブライアン・マクリーン(彼は当時バーズのローディーを務めていた)によってこのバンドに持ち込まれた。バンドのメインボーカルであるアーサー・リーは後年、この楽曲をカバーした大半のロサンゼルス歌手やジミー・ヘンドリクスにこの曲への興味を抱かせたのはラヴのバージョンだと主張した。ラヴが録音した「ヘイ・ジョー」は、大半のバージョンの歌詞とは少し異なる歌詞が特徴となっている。例えば「銃を持って(gun in your hand)」という歌詞がラヴのバージョンでは「お金を持って(money in your hand)」である。バーズの録音した楽曲も、ラヴのバージョンと同様に変更された歌詞を特徴としている。ラヴのギタリストであるジョニー・エコールズは、ラヴおよびバーズの歌詞が本物の歌詞だと主張している。エコールズによると、ザ・リーヴズ(彼らは友達だった)はラヴが曲を演奏しているのを聞いて歌詞について尋ねてきた。リーヴズが「卑劣な手段」を使うため自分が歌詞を書き換えたところ、うっかり皆が知っていたバージョンを書いてしまったという。 バーズは1966年のアルバム『霧の五次元』 (Fifth Dimension) に「Hey Joe(Where You Gonna Go)」とのタイトルを付けた楽曲を収録した。バーズ盤の主なボーカルはデヴィッド・クロスビーで、彼はその楽曲をグループに持ち込んだり、その曲をロサンゼルスのより大きな音楽コミュニティの中で普及させることに尽力した。クロスビーはバンドが最初に結成された1964年よりその楽曲を録音したいと常日頃から考えていたが、バーズの他のメンバーはその曲に熱心ではなかった。『霧の5次元』の収録セッション時までに、他の幾つかのバンドが「ヘイ・ジョー」のカバーで成功を収めていた。そのため、クロスビーは自分のバンド仲間にこの楽曲への情熱が欠けていると怒った。バーズのギタリストでリーダーのロジャー・マッギンはインタビューで「クロスビーが 「ヘイ・ジョー」を持ち込んだのはそれが自分の歌だったからだ。彼はそのことを書かなかったがその曲に責任を持っていた。彼は何年もそれをやりたがっていたが、我々が決して彼にそれをさせなかった。その後ラヴとザ・リーヴズの両方がそれで小さなヒットを飛ばすと、我々がその楽曲をやらざるを得ないほどデヴィッドは猛烈に怒った」と述懐している。 バンド内や評論家間での一般的なコンセンサスでは、バーズ盤はこの曲の完全に成功した歌唱ではなく、以前のラヴやザ・リーヴズによる同楽曲の録音より劣るとされた。後年、マッギンおよび同バンドのマネージャーであるジム・ディクソンは、クロスビーの声量パフォーマンスが攻撃的な主題を伝えられるほどパワフルではないと批判し、この曲を『霧の5次元』に収録してしまったことを後悔していると表明した。後にクロスビー自身もその曲の録音が自分側の失敗であることを認め、「間違っていたよ、私がそれをやるべきじゃなかった。誰だって間違いは起こすものだ」と語った。 この楽曲は1966年から1967年にかけてバーズのライブコンサートで歌うレパートリーの中心的存在となる予定だった。バーズはまたモントレー・ポップ・フェスティバルでの自分達の演奏にこの曲を入れ、それは同フェスのCDボックス(1992年)ほか同フェスのコンプリートDVDボックス(2002年)に収録されている。
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