出自と学歴とは? わかりやすく解説

出自と学歴

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 05:29 UTC 版)

ホルヘ・ルイス・ボルヘス」の記事における「出自と学歴」の解説

1899年ボルヘス教養ある中産階級家庭生まれた出生した場所はブエノスアイレス中心であったが、それから間もなく一家は同都市郊外パレルモ転居している。父 ホルヘ・ギリェルモ・ボルヘス・ハズラムは弁護士であり、また外国語教師養成学校で英語を使った心理学講義受け持っていた。父方は、イタリア系ユダヤ系の血が流れており、セファルディム・ユダヤ人の末裔に当たる。ボルヘス自身とりわけイギリスユダヤの血を誇りにしていた。祖母イングランド人であり、その英語は母親譲りのものであったボルヘスの母レオノール・アセベド・スアレスはウルグアイ旧家出で敬虔なカトリックであった母方祖先にはヨーロッパからの南アメリカ植民大きく関わった軍人もおり、家族はしばしボルヘスに彼らの英雄譚話して聞かせた家庭では英語とスペイン語の2言語同じよう使われていた。一家にはまた文学的伝統受け継がれており、父方先祖には何人かの詩人文学者もいた。父は幾つかの文学作品執筆試みており、父方の祖母80過ぎてゴールズワージーH・G・ウェルズ親し大変な読書家だった。その読書のほとんどが英語だった母は、夫が死んだ後にはサローヤンの『人間喜劇』やホーソーン短編ジョン・リード美術論などを翻訳しており、ボルヘス後年、彼自身のものとされているメルヴィルフォークナーウルフ翻訳は彼女の手よるものだと述べている。彼女はボルヘスがのちに視力失ってからも、口述筆記をし、替わり手紙返事書き旅行同行するなどして彼の秘書役を務めた。 父の書庫には5000冊を越え膨大な蔵書があり、ボルヘス幼い頃からここに出入りしてマーク・トウェインポーウェルズロングフェローディケンズ、『ドン・キホーテ』(最初英訳読んだという)、グリム童話、『千夜一夜物語』などを英語で読みスペイン語ではアルゼンチン無法者ガウチョ描いた作品好んで読んでいた。6歳の頃から見よう見まね物語書き始め10歳ときにはワイルドの「幸福な王子」をスペイン語訳し日刊紙エル・パイス」に掲載されたが、「ホルヘ・ボルヘス」と署名されていたため周囲の人間父親よるものだと思ったらしい。ボルヘス父親教育方針学校教育受けず当初イギリス人家庭教師付いていたが、9歳から市内小学校編入している。 1914年第一次世界大戦勃発前夜に、ボルヘス一家スイスジュネーヴ渡った父親眼の治療のためと、ボルヘスおよび妹のノラ進学のためである。ボルヘスカルヴァン学院Collège Calvin, 正式名Collège de Genève)の中等科進んだ授業ではラテン語フランス語使われており、これに加えてボルヘスドイツ語独習しハイネやマイリンク、ショーペンハウアーなどを読んでいた。その後一家は、アルゼンチンに戻ることを決めるが、その前にスペイン1年間生活することに決め1919年にスペイン・バルセロナに移った。すでに1918年カルヴァン学院バカロレア資格取っていたボルヘス創作専念しバルセロナでは『ギリシャ』誌を中心とする前衛的な文学運動ウルトライスモに参加したスペイン滞在中にボルヘスエッセイ集詩集書いたが、いずれも出版はせず破棄してしまった。

※この「出自と学歴」の解説は、「ホルヘ・ルイス・ボルヘス」の解説の一部です。
「出自と学歴」を含む「ホルヘ・ルイス・ボルヘス」の記事については、「ホルヘ・ルイス・ボルヘス」の概要を参照ください。

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