出自と呼び名
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/02 03:16 UTC 版)
イブン・ハッリカーンは、エジプトの歳入庁の長官がアブー・ヌワースに出自を尋ねたところ、彼は、才能こそがわが出自であり、決して高貴な生まれではありませんと答え、長官はそれ以上詮索するのをやめた、というエピソードを伝えている。 「アブー・ヌワース」は通り名で、クンヤとイスムとナサブとニスバはアブー=アリー・アル=ハサン・ブン=ハーニィ・アル=ハカミー(アラビア語:ابو علي الحسن بن هانئ الحكمي الدمشقي, ラテン文字転写: abū ʿAlī al-Ḥasan b. Hāniʾ al-Ḥakamī、以下、冠詞はカナ表記から省略。)という。イブン・ハッリカーンによると、「ハカミー」のニスバは、アブー・ヌワースの父方祖父又は曽祖父がウマイヤ朝のホラーサーン総督ジャッラーフ・ブン・アブドゥッラー・ハカミー(英語版)に仕えたマウラー(隷属庇護民)であったことに由来する。なお、ハカミー(バヌー・ハカム)(英語版)は南アラブ(イエメン)系の部族である。 アブー・ヌワースの父ハーニィはウマイヤ朝最後のカリフ・マルワーン2世に仕え、アフワーズに駐屯していた兵士であり、そこでゴルバーンという名の女をめとった。ハーニィとゴルバーンには子供が多く生まれたが、そのうちの一人が詩人のアブー・ヌワースであった。 母ゴルバーンはペルシア人の織工で、若い頃はバスラの食料品店で働いていたようである。 イブン・ハッリカーンによると、ジャッラーフの孫にあたる人物が、アブー・ヌワースはバスラで生まれ育ち、ワーリバ(アブー・ヌワースの師匠。後述。)に連れられてクーファへ、その後バグダードへ行ったと著作に書いているという。しかし歴史学者によると、アブー・ヌワースはアフワーズで生まれ、2,3歳のころにバスラへ移住したされている。一般的な百科事典ではアフワーズ生まれとされる。生年はヒジュラ暦130年から145年の間(西暦747年-762年)、没年はヒジュラ暦198年から200年の間(西暦813年-815年)と推定されている。生没年の推定はハムザ・イスファハーニー(アブー・ヌワースの詩集の編纂者。後述。)によるものである。 「アブー・ヌワース」という通り名の由来には、いくつかの説があり、伝統的なものでは3つの仮説が流布されている。第1の仮説では、「ヌワース」とはある山の名前であるという。第2の仮説は、彼が長い髪の毛を房飾りのように垂らしていたので隣人が「アブー・ヌワース(房飾りの男の意)」と呼んだのであろうと推測する。第3の仮説は、かつて存在したヒムヤル王国最後の君主、ズー・ヌワース(英語版)に自分自身を重ね合わせて、彼が自分でそう名乗ったのであろうとするものである:131-160。
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