出自と呼称
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/11 07:09 UTC 版)
『吾妻鏡』などはその身分を領地を持たずに主の側近・雑務を務める雑色とし、『平家物語』で「下﨟なれども以ての外さかざかしいやつ」といわれるように出自は低かったが、才覚を認められて取り立てられた人物とみなされている。事実、幕府官制が整うまでの短期間ではあったが創成期における雑色の政治的活動は目覚ましいものがあり、御家人監視や謀反人となった源義経探索などに従事したようである。なお流布本『平治物語』によれば、平治の乱に敗れて落ち延びた源頼朝を近江国浅井郡で匿った老夫婦がおり、頼朝が近江を離れる際には老夫婦の子息が着ていた小袖の上に直垂を着けたという。後年、頼朝が流罪になって以来初めて上洛した際に老夫婦と再会してその子息を取り立てて近江冠者と名乗らせたが、これが足立新三郎清経であるとしている。 『吾妻鏡』では主に安達新三郎と表記されるが、『平治物語』『平家物語』などがそうであるように苗字を「足立」とする個所もある。諱は建久4年6月25日条には「清恒」、同6年2月8日条には「清経」とする。『東寺百合文書』補注では「清恒」、『平治物語』『源平盛衰記』では「清経」とする。
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