出自と名前
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父は近江国甲賀郡の国人・滝川一勝もしくは滝川資清といわれているが、この2人は同一人物説もあり、どのような人物であったかは定説を見ない。また、兄として高安範勝が挙げられることもあるが、一族(父の従兄弟)とする系譜もある。また、池田恒興と同族(従兄弟)とされる場合もある。更に中村一氏は甲賀二十一家の一つ・滝氏の出身ともいわれ一益の同族とする説もある。また、忍者であったという説もあるが、これも明確な根拠があるものではない。甲賀郡に対する文書で「大原」同名中の「滝川氏」として動いているものがある。 甲賀出身という説の他に、志摩の国人・九鬼嘉隆が織田信長に仕官する際に一益が仲介したこと、婿の滝川雄利は伊勢国司北畠氏の一族木造氏の出身であること、長年伊勢攻略を担当し、攻略後も北伊勢に広大な所領を与えられていることなどから、伊勢あるいは志摩出身とされる場合もある。 なお、諱は一般には「かずます」と読まれるが、『寛永諸家系図伝』および『寛政重修諸家譜』に「いちます」とあり、「一」を通字とした子孫も本家は代々「いち」と読んでいる(分家では「かず」と読んでいる)。このため「いちます」が正しいとする説があるが、当時としては音読みさせることは珍しく、読みについても今日まで定説を見ない。なお、通称を「彦右衛門」とされることもあるが、これは同姓の別人である。
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出自と名前
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/18 21:23 UTC 版)
トガイ・ベイは、クリミア・タタールの有力部族であったアルグン部族(英語版)出身の貴族であった。このため、「アルグン部族生まれ」を意味するアルグン・ドガンの語を名に冠する。 アルグン部族は中央ユーラシアの広い地域で名前を見られる部族名であり、特にクリミア半島においてはクリミア・ハン国を構成する四大部族の一角として、チンギス・カンの末裔であるギレイ家から選出されるハンを支えていた。 また、中央ユーラシア地域においては部族の貴族階級を示すムルザ(英語版)を冠してミルザ・トガイ・ベイ(クリミア・タタール語: Mırza Toğay Bey)ともいう。 ベイは高位の貴族・軍人の称号であり、トガイ・ベイという呼称は西洋史の文脈でトガイ公と称するようなものである。
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