美術論
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/17 09:42 UTC 版)
中国古陶磁器の収集でも知られ、後にそれらを東京国立博物館に寄贈した。「横河コレクション」として著名である。 民輔の美的感は、伊東忠太が民輔の講演(1892年(明治25年)7月20日、造家学会通常会)に対し、「横河君の『東西美術執れか勝る』論を評し併せて意見を述ふ」という題目の反論からわかる。このとき伊東は横河の美術についての理解を逐一反論するが、その基本的な対立点は両者の美術理解の差以上に美術観がつぎのようにことなっている。 (横河)夫よりは申度事は、総て技芸なるものは世界共有同案の物で御坐り升、之は彼の国、どに申すぺき狭少なるものではありません、政治家や、軍人などが全世界の一小部分の為に一瞬時の名誉のためにする様な稀な希望を保つべきものではありません、世界上に人間の有らん限り塵却未来まで、此美術に依って楽ましめ、喜ばせん、此技芸の恩沢に依らしめんと期せぎる可からず、(中略)。 (伊東)以上諭するか如く、東西人種は索と其の風土気候を殊にするを以て、亦甚たしく其嗜好を異にせり、是故に我を以て彼を論するに由なく、又彼を以て余を論ナるを持す…彼の美術は彼の風土之を代表せり、我の美術は我の風土之を代表せり、彼は彼の風土に従て生活し、我は我の風土に従て生活せり、然らは則ほち吾人亦何を以てか其優劣を争はんや、(中略)。 伊東のどこか鬱屈とした意識とは対照的に、民輔の美術論は、美術の原理を文と武とで説明するような甚だ旧式のものであったかもしれないが、美術を国家とか名誉とかと切り離して考えようとする志向が伺え、伊東の言うように東西美術の優劣について答えていないのではなく、上述の文で「世界上に人間の有らん限り塵却未来まで、此美術によって楽ましめ、喜ばせん」とする意欲が同じであれば、古今東西美術の比較は云うに抗しない、と答えている。帝国劇場の際に争われた、その建築を「西洋様式とするか、日本の伝統様式とするか」に対し「民衆のための劇場」として、躊躇なく洋式劇場を設計した。 東京国立博物館所蔵 横河コレクション中国陶磁の画像 白磁鳳首瓶 唐 7世紀(重要文化財) 白釉刻花唐草文水注 北宋 磁州窯 11 - 12世紀 青磁輪花鉢 南宋官窯 12 - 13世紀(重要文化財) 粉彩(琺瑯彩)梅樹文皿 清・雍正年間(1730年頃) 景徳鎮窯(重要文化財)
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