冷戦終結後と東方拡大
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 03:37 UTC 版)
「北大西洋条約機構」の記事における「冷戦終結後と東方拡大」の解説
1989年のマルタ会談で冷戦が終焉し、続く東欧革命と1991年のワルシャワ条約機構解体、ソビエト連邦の崩壊によりNATOは大きな転機を迎え、新たな存在意義を模索する必要性に迫られた。1991年に「新戦略概念」を策定し、脅威対象として周辺地域における紛争を挙げ、域外地域における紛争予防および危機管理(非5条任務)に重点を移した。また域外紛争に対応する全欧州安保協力機構 (OSCE)、東欧諸国と軍事・安全保障について協議する北大西洋協力評議会 (NACC) を発足させた。 1992年に勃発したボスニア・ヘルツェゴビナにおける内戦では、初めてこの項目が適用され、1995年より軍事的な介入と国際連合による停戦監視に参加した。続いて1999年のコソボ紛争ではセルビアに対し、NATO初の軍事行動となった空爆を行い、アメリカ主導で行われた印象を国際社会に与えた。 一方で、ソ連の崩壊によりソ連の影響圏に置かれていた東欧諸国が相次いでNATOおよび欧州連合 (EU) への加盟を申請し、西欧世界の外交的勝利を誇示したが、拡大をめぐる問題も発生した。旧東側諸国の多くがソ連の支配を逃れてNATO加盟を希望する一方、ソ連崩壊より誕生したロシア連邦は国力を回復するとともに、NATO東方拡大に警戒・反発を表明しているためである。1991年にソ連も参加して発効されたドイツ最終規定条約では西ドイツを継承する統一ドイツにNATO加盟国としての地位を認める一方で旧東ドイツ領域での外国軍部隊駐留を禁止することが規定された。1994年、「平和のためのパートナーシップ」(PfP) によって、東欧諸国との軍事協力関係が進展。1997年5月にNATOとロシアはNATO・ロシア基本文書に署名し、NATOは新加盟国に対して外国軍部隊について大規模な部隊を恒久的配備しないとした(そのため、新加盟国ではNATO加盟国の外国軍部隊は短期間でローテーションで駐留する方法を取っている)。1999年に3カ国(ポーランド、チェコ、ハンガリー)、2004年に7カ国(スロバキア、ルーマニア、ブルガリア、旧ソ連バルト三国および旧ユーゴスラビア連邦のうちスロベニア)、2009年に2か国(アルバニアと旧ユーゴスラビア連邦のクロアチア)が加盟。旧ユーゴスラビア連邦からは2017年にモンテネグロが、2020年には北マケドニアが続いた。 こうして旧ワルシャワ条約機構加盟国としては、バルト三国を除く旧ソ連各国(ロシア、ベラルーシ、ウクライナ、モルドバ、ジョージアなど)を残し、ほかはすべてNATOに引き込まれた。 ロシアがウクライナ紛争などで見られるように、東欧・北欧諸国に対して威嚇や挑発を強めているため(「新冷戦」参照)、ほかの国々にもNATO加盟を模索する動きがある。政府がNATO加盟を希望する国としてはウクライナ、ジョージアがある。 スウェーデンやフィンランドはNATO加盟を求める世論が台頭していたことを背景に、ロシアによるウクライナ侵攻(2022年)を受け、2022年5月18日にNATO加盟を申請した。なお、両国は加盟申請前からNATOの軍事演習に参加していた。これにより、NATO加盟希望国は、ウクライナ、ジョージア、ボスニアヘルツェゴビナを含め5か国となった。 「ノルディックバランス」も参照
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