兵器と違法薬物の製造
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独学で研究と実験を重ねてサリン・VXの生成方法を教団において確立し、中川智正・遠藤誠一・滝澤和義らとともに多くの化学兵器、違法薬物を生成した。材料の購入はオウムのダミー会社「長谷川ケミカル」(社長は長谷川茂之)などが行っていた。 日時製造物量用途・使用事件備考1993/08 サリン 20g 標準サンプル サリンプラント計画も開始 1993/11 サリン 600g 第1次池田大作サリン襲撃未遂事件 中川智正と協力 1993/12 サリン 3,000g 第2次池田大作サリン襲撃未遂事件 1994/02 サリン 30,000g 滝本太郎弁護士サリン襲撃事件松本サリン事件 青色サリン溶液(ブルーサリン)。約70%がサリン、約30%がメチルホスホン酸ジイソプロピル。当初は池田大作襲撃に使うつもりで製造指示。生成プロセスの指示・助言、生成物の分析。生成は中川智正と滝澤和義によるもの 1994/02 LSA 4g LSD製造 信者が東京工業大学で文献を収集 1994/03 ソマン 10g 教団武装化 サリンよりコストがかかるので量産されず 1994/03 PCP 7.8g 1994/04~07 RDX 10g 教団武装化 東京都庁小包爆弾事件のRDXは1995年に中川智正が製造したもの 1994/04~07 TNT 300g 教団武装化 1994/04~07 PETN 300g 教団武装化 1994/04~07 HMX 10g 教団武装化 1994/05/01 LSD キリストのイニシエーションルドラチャクリンのイニシエーション この時は数gを製造し、1994年11月までに最終的に115gを製造。当初は兵器として製造指示。麻原もLSDを試し、「宇宙の始まりを見てきた」といって感激したという。遠藤誠一と協力 1994/06 イペリット 50g 教団武装化 イペリットは1994年7月10日の信者リンチ殺人事件にも関係 1994/07 覚醒剤 ルドラチャクリンのイニシエーション この時は5gを製造し、1995年2月までに最終的に227gを製造 1994/08 ホスゲン 数リットル 江川紹子ホスゲン襲撃事件 1994/08 青酸 数リットル 新宿駅青酸ガス事件 1994/08~09 VX 20g 第1次滝本太郎VX襲撃未遂事件 土谷が、サリンより強力と書いてある論文を見て製造開始した。中川智正はあまりに危険なので中止するよう勧めた。土谷は「現代化学」1994年9月号(8月15日発売)を読んでVXの製造法を知った 1994/08~09 ニトログリセリン 2,000g 教団武装化 1994/09 VX 20g 第2次滝本太郎VX襲撃未遂事件 警察官がいたので襲撃は実行されず 1994/09 チオペンタールナトリウム 自白剤バルドーの悟りイニシエーション 遠藤誠一と協力。チオペンタールは公証人役場事務長監禁致死事件被害者の死因にもなった薬物でもある 1994/11 VX塩酸塩 100g 駐車場経営者VX襲撃事件 効果が無いものを間違って製造。土谷によると、原因は遠藤がトリエチルアミンではなくジエチルアニリンを使用したため 1994/11/30 VX 50g 駐車場経営者VX襲撃事件会社員VX殺害事件被害者の会会長VX襲撃事件? 襲撃においては注射器が2本用意され、それぞれ1 - 1.5ミリリットルが吸入された 1994/12/25 VX 40g 被害者の会会長VX襲撃事件? 純粋VX。被害者の会会長事件については11月30日のものか12月25日のものか不明。使用量は駐車場経営者VX事件と同じ 1994/12/31 イペリット 200,000g 教団武装化 1995年3月22日の強制捜査までに井戸に流して処分 1995/03/02 メスカリン硫酸塩 3,000g イニシエーション 遠藤が標準アンプルを合成し、土谷が合成方法を改良した。麻原の誕生日に合わせた 1995/03/19 サリン 6 - 7リットル 地下鉄サリン事件 約30%がサリン。生成プロセスの決定、薬品・器具の提供、生成の助言、生成物の分析。生成は遠藤誠一、中川智正によるもの
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