公衆とは
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/08 20:46 UTC 版)
「サイエンスコミュニケーション」の記事における「公衆とは」の解説
「科学の公衆理解」運動に対しては、そこで想定されている公衆がどこかブラックボックスのようで受動的だという批判が数多く寄せられてきた。その結果、公衆に対するアプローチのあり方は変化した。近年のサイエンス・コミュニケーション論の研究者や実践家は、非専門家の話に喜んで耳を傾けようとするだけでなく、レイトモダン・ポストモダンの社会的アイデンティティが流動的で複雑であることを意識するようになってきた。分かりやすい部分としては、公衆すなわちpublicという言葉の代わりに複数形のpublicsやaudiencesが使われ始めた。Public Understanding of Science 誌の編集者エドナ・アインジーデルはpublics特集号で以下のように説明している。 欠如フレームやpublicsの画一化が当たり前だった時代は過ぎ去った。今や我々の目に映るpublicsは、能動的かつ聡明で、多様な役割を持ち、科学を受容するだけでなく形作ることもできる存在である。 しかしながら、アインジーデルはさらに進んで、どちらの見方もpublicとは何なのか規定しているのだから、ある意味で公衆を画一化していることは変わらないとした。科学の公衆理解運動がpublicsを無知な存在として矮小化したとすれば、それに代わる「科学技術への公衆関与」運動はpublicsを参加意識と生来の道徳、素朴な集合知を持つ存在として理想化したのだという。スザンナ・ホーニグ・プリーストは現代の科学支持者(audiences)に関する2009年の概説で、科学コミュニケーションの使命とは、非専門家に科学の活動から疎外されたと感じさせず、かといって過度に関与を求めないことなのかもしれないと結論した。望むならいつでも参加して構わないが、人生を賭けて飛び込んでいく義務は負わないというわけである。 公衆の科学に対する知識や関心度を調査することは、「科学の公衆理解」の観点と強く結びつけられた手法だと(一部に言わせれば、不当にも)考えられている。そのような調査を行うこと自体が「必然的に、公衆には科学的な理解が不足しているというイメージを形成するもの」』という批判がある。米国においてその種の調査研究を代表するのはジョン・ミラー(Jon D. Miller)である。ミラーは科学に「目を向けている」「関心のある」とみなせる公衆(言わば科学ファン)と、科学や技術にそれほど関心がない集団とを区別したことでよく知られている。ミラーの研究は、アメリカの公衆が以下に示す科学リテラシーの4つの特質を備えているか疑問を投げかけた。 教科書的、事実的な科学の基礎知識 科学的方法の理解 科学技術のポジティブな成果を高く評価すること 占星術や数秘術のような迷信への信奉を持たないこと ジョン・デュラントが英国の公衆を対象に行った調査はいくつかの点でミラーと同様のアイディアに基づいていた。しかし、デュラントらはどちらかと言えば知識の量より科学技術への態度の方に関心を持っていた。彼らはまた公衆が自分の科学知識にどれだけ自信を持っているかに注目し、「知らない」という回答を選ぶこととジェンダーとの関係などを考慮した。ユーロバロメーター(英語版)調査はこのようなアプローチや、もっと「科学技術への公衆関与」の影響が強いアプローチを取り入れていると見られる。この調査はEU諸国の世論をモニターするもので、政策立案と政策評価に寄与する目的で1973年から行われている。題材は多岐にわたり、科学技術のみならず、国防、ユーロ、EUの拡大、文化も含まれる。近年のユーロバロメーター調査『気候変動に対するヨーロッパ人の態度』はよい例である。この調査では回答者の「主観的な知識レベル」に焦点をあてており、何を知っているか確かめるのではなく「…について個人的に十分な知識がありますか?」という訊き方をしていた。
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