入院〜死去、追悼
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2014年3月14日の宇津井健の死去を受け、菅原は追悼文を寄せている。 2014年11月13日に定期健診で病院へ行きそのまま入院。入院中に高倉健の死去(2014年11月10日没)を知り、『健さん、東映、映画のことは時間を置いて自分で(思いを)書きます』と関係者に伝えていたという。しかし11月28日午前3時、転移性肝がんによる肝不全により東京都内の病院で死去。享年82(満81歳没)。晩年は山梨県北杜市に住んでおり、11月30日に福岡県太宰府市の太宰府天満宮祖霊殿で家族葬を行った。12月1日、菅原文太の死去を発表するに際し、妻が東映を通じてコメントを発表した。高倉と並び東映任侠映画の巨頭として、ブームの立役者であった菅原も高倉の後を追うかのように鬼籍に入った。 千葉真一とは『日本暗殺秘録』『仁義なき戦い 広島死闘篇』など映画10作品とテレビドラマ1作品で共演し、千葉が監督した『リメインズ 美しき勇者たち』に菅原が出演するなど、公私共に親交があった。菅原の訃報を聞いた千葉は「(高倉)健さんに続いてなので、自分が滅入ってしまいます。もっと元気でいてほしかった。お二人とも日本の宝ですから。寂しい、その一語です」と悲しみに暮れた。『仁義なき戦い』『県警対組織暴力』などで共演し、プライベートでもよく酒を飲み交わしていたという松方弘樹は「追いつきたかった先輩だが、自分のピークの時にも脇に回ってくれ、そういう度量の大きさと裏表がない人だった。早いよ…」と天を仰ぎ、同じく梅宮辰夫は「妻と初めてデートした時に付き合ってくれて、黙って飲んでいた。残り少ない昭和の映画スターが消えていくのは悔しいし悲しい」と肩を落とした。映画『トラック野郎シリーズ』で共演した愛川欽也は菅原の訃報に接して記者会見を行い、「きょとんとしちゃってるよ。ビックリしてます」と驚き、「鈴木則文監督も死んじゃったし、(トラック野郎の関係者は)だんだんいなくなるのかな…」とショックを隠しきれない様子で故人を偲んだ。愛川も菅原の後を追うかのように、翌2015年4月15日に死去(享年80)している。同じく共演したせんだみつおは「すごい知的な方で、学校の先生のような口調でお話下さいました。寂しくて寂しくてしょうがない。6年前に会ったのが最後で『頑張れよ、せんだ。トラック野郎なんだからな!』と激励されたのが最後の言葉でした」と涙ながらに語った。 東映からは、岡田裕介が「(高倉に続き)また一本の矢が折れました。我が東映は、一丸となり折れない三本目の矢となる決意です」、高岩淡は「あのような俳優さんは二度と出ない。彼が京都で悪戦苦闘してくれたおかげで、東映は任侠映画から実録映画に移行することができた」、菅原主演の『まむしの兄弟シリーズ』を監督した中島貞夫は「監督と役者というより友達の間柄。今年5月に『俺たちも年をとったな』と対談企画が最後になるとは…。ショックだが今はただお疲れさんと言いたい」とそれぞれ追悼した。菅原の付き人を務めていた宇梶剛士は「菅原文太という人は、いつでも弱き者の味方でした」と“芸能界の父親”をしのんだ。このほかには吉永小百合・泉谷しげる・志村けん・小林幸子・はるな愛ら映画やバラエティ番組、CMなどで共演した芸能人や、スポーツ界から王貞治・アントニオ猪木・大久保博元らの追悼が寄せられた。
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