先コロンブス期の人々
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/04 15:17 UTC 版)
「セントジョンズ川」の記事における「先コロンブス期の人々」の解説
人類がフロリダ半島に入って来たのは約12,000年前のことであり、この頃海面は今日より350フィート (110 m) 低く、半島の大きさは今の2倍だった。最初期の人類はパレオ・インディアンと呼ばれている。主に狩猟採集型の人々であり、マストドン、馬、ラクダ、バイソンなど大型動物を追っていた。土地の多くは水際から遠く、清水は氷河や極地の氷冠に含まれていた。その結果フロリダは樹木の少ない乾燥した土地となり、草原や低木の植生が支配的だった。 おおよそ9,000年前、気候が暖かくなり、極地の氷冠や多くの氷河の大半が溶け、湿度の高い環境となり、フロリダ半島の棚の半分が水没した。この頃のパレオ・インディアンは水を求めてそれほど遠くまで行く必要が無く、その宿営地はより恒久的になって村落地に変わった。この頃に造られた様々な道具という証拠があり、考古学者はアルカイック時代への移行を見ている。アルカイック時代は骨、動物の歯、角から道具を作った。キャベツヤシやノコギリヤシなどの植物から繊維を取り出して編んだ。ブレバード郡のタイタスビルに近く、ウィンドーバー考古学史跡など幾つかの墓所が発掘され、葬儀の儀式の証拠が出た。アルカイック時代の人々は浅い泥炭の沼に死体を埋葬したので、人体の組織の多くが残った。5,000年から3,000年前にも気候が変動し、アルカイック中期になった。セントジョンズ川の近くに初めて人類が住んだという証拠はこの時代のものである。この時代に先住民の人口が著しく増え、セントジョンズ川の近く多くの定住地がこの時代から記録されてきた。セントジョンズ川の岸やその道路には貝塚が散在している。その中には淡水の巻貝や牡蠣の貝殻が多く詰められていた。 地域固有の陶器や火打石あるいは石灰岩で作られた石器が出現し、西暦500年頃の進歩が始まった。アルカイック時代の人々はフロリダの周辺で固まって生活するようになった。フロリダの中央部から北、大西洋岸に沿って人々はセントジョンズ文化を生きた。この名称は最も近くにあって目立つ自然の地形から採られたものだった。西暦750年頃、セントジョンズ文化では、トウモロコシを栽培することを覚え、魚、動物、ウリといった食料の列に加えた。考古学者や人類学者はこの農業の進歩の年代が、考古学遺跡の広がりに一致するとしており、それに続いて人口が増加したことを示唆している。ヨーロッパ人探検家が北フロリダに到着したとき、ティムクア族インディアンと遭遇し、その部族人口は約14,000人で、地域の先住部族の中では最大だった。後のセミノール族インディアンはこのセントジョンズ川を「ウェラカ」あるいは「イラッコ」と呼んだ。これらの名称はクリーク語の「ウィ・ラコ」すなわち「大きな水」から派生しており、通常湖を流れる大きな川に適用された複合語だった。セントジョンズ川は多くの湖を作り接している。別の考えとしてセミノール族の名称は「ワラカ」(「ウィ・アラカ」、すなわち「水が来る」)から派生し、おそらく川の緩りとした流れとそれへの潮汐の影響を言ったものだった。この名称は英語で「チェイン・オブ・レイクス」(湖の連なり)とされることもある。
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