先スペイン期と植民地時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/26 23:36 UTC 版)
「パシッグ川」の記事における「先スペイン期と植民地時代」の解説
パシッグ川はマニラの交易と商業の中心地を流れている。パシッグ河岸では何世紀にも渡って、フィリピン人、スペイン人、中国人、アメリカ人など異なる民族が混住していた。マニラ首都圏はパシッグ川河岸に発展し、スペインの植民地、アメリカの植民地、日本の占領下を経験し、フィリピン社会やフィリピン文化の創出・腐敗・再生を見てきた。 16世紀中頃にフィリピンがスペインの植民地となる前から、パシッグ川は国際交易にとって重要なポイントだった。歴史的に上流部の集落はパシッグ川とバエ湖に大きく依存する漁村であり、下流部の集落は上流部より早く都市化して他地方・他国の商人がやってきた。10世紀から16世紀にかけて、ナマヤン王国、マイニラ王国、トンド王国などフィリピンの歴史の中で著名な王国のいくつかがパシッグ川の河畔で発展した。1571年にはスペイン人がマニラ・シティを築き、マニラを極東全体の主都に定めた。スペイン人はパシッグ川河口近くの南岸にイントラムロスの城壁都市を建設した。
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