トンド王国とは? わかりやすく解説

トンド王国(呂宋国)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/11 04:30 UTC 版)

フィリピンの歴史」の記事における「トンド王国(呂宋国)」の解説

詳細は「トンド王国(呂宋国)(英語版)」を参照 ただし、この時代様子窺う資料が全く無いわけではない1990年ルソン島バエ湖で、シャカ紀元822年西暦900年)の日付入ったラグナ銅版碑文英語版)と呼ばれる金属板が見つかった。これは早期カウィ文字英語版)に属す文字バイバインと同じアブギダ)で書かれ一種裁判記録であり、この時代フィリピンある程度文明社会があったことを証明するのに十分なのだった。ただし、出自があまり明確ではなく真贋確定していない。:7:59。 トンド王国は、中国東南アジア・インド・アラブとの中継貿易栄えた海洋国家である。中国記録には、「呂宋國」が首都を「トンド」(東都)に置くという記述があり、モンゴル帝国敗れた南宋残党海を渡り建国したという伝承残っている。

※この「トンド王国(呂宋国)」の解説は、「フィリピンの歴史」の解説の一部です。
「トンド王国(呂宋国)」を含む「フィリピンの歴史」の記事については、「フィリピンの歴史」の概要を参照ください。

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