伎楽の歴史とは? わかりやすく解説

伎楽の歴史

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/20 05:56 UTC 版)

伎楽」の記事における「伎楽の歴史」の解説

伎楽は「呉楽くれがく)」「伎楽儛(くれのうたまい)」ともいわれるように、中国南部仏教文化圏であった呉国由来する楽舞であった。そのルーツについては中国南部西域ギリシャインドインドシナなど諸説ある。 「伎楽」の文字日本文献初め登場するのは、『日本書紀』欽明天皇在位 540年572年)の項においてである。呉国国王の血をひく和薬使主(やまとくすしのおみ)が、仏典仏像とともに伎楽調度一具」を献上したという記述がある。ただしこのとき、実際演技として伎楽上演されたかどうかは不明『日本書紀』推古天皇20年612年5月百済人味摩之(みまし)が伎楽儛を伝え奈良桜井少年集めて教習したという記事が、実際に日本伎楽が行われた記録として最古である。 聖徳太子奨励などによって伎楽寺院楽としてその地位高めた伎楽教習者には課税免除措置とられるなど、官の保護もあった。『延喜式』によると法隆寺をはじめ、大安寺東大寺西大寺などに伎楽上演する一団がおかれていた。4月8日仏生会7月15日伎楽会と、少なくとも年2回の上演があった。また天武天皇14年685年)には、筑紫外国賓客供応するため伎楽が行われた。このように伎楽仏教行事以外の場でも上演されている。 東大寺の大仏開眼供養西暦752年/天平勝宝4年)の時には他の諸芸とともに大規模に上演された。奈良時代さかんに行われていた伎楽平安時代経て鎌倉時代になると次第上演されなくなった。しかし現在でも「獅子舞」や、各地寺院行われるお練供養」にその痕跡とどめている。 昭和55年1980年)、東大寺大仏殿昭和大修理落慶法要を飾る一大プロジェクトとして、その一部復元された。復元作業にあたっては、現存する資料元に宮内庁楽部楽師芝祐靖(復曲)、NHKプロデューサー堀田謹吾(企画)、元宮内庁楽部楽長であり小野雅楽会長であった東儀和太郎(振り付け)、東京芸術大学教授小泉文夫監修)、並びに大阪芸術大学教授吉岡常雄(装束制作)らの尽力によって実現演技天理大学雅楽部が担当した以降天理大学雅楽部は『教訓抄記載伎楽復元試作続け、復曲は引き続き芝祐靖当たった。なお、同部は、平成4年1992年)からは薬師寺において、創作伎楽三蔵法師』にも取り組んでいる。そのほか1980年代ごろから「真伎楽」という形での復興おこなわれ奈良寺院など上演されている。

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