伎楽の影響
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/20 05:56 UTC 版)
大宝律令に定められた雅楽寮には伎楽師もおかれ、国家の保護がなされた。しかし一方で、国家保護のもとで伎楽の演者は居住地が定められるなどの制約も課せられた。また散楽との密接な関係もあったと思われる。伎楽は広く地方にも伝播していった形跡がみられる。国家保護と制約から解放されるにつれ、伎楽は様々に形を変えていった。 崑崙の「マラフリ」や、波羅門の「ムツキアラヒ(褌を洗う所作)」は、のちの猿楽にも受け継がれた。また伎楽の伴奏の多くは雅楽のレパートリーに取り入れられ、後世に残った。さらに先述のように各地の獅子舞のルーツも伎楽にあるとみてさしつかえない。伎楽そのものは鎌倉期に衰退したとされるが、伎楽が後世の芸能に及ぼした影響は大きい。
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