伊興本町とは? わかりやすく解説

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伊興本町

読み方:イコウホンチョウ(ikouhonchou)

所在 東京都足立区

地名辞典では2006年8月時点の情報を掲載しています。

〒121-0807  東京都足立区伊興本町

伊興

(伊興本町 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/09/29 09:00 UTC 版)

日本 > 東京都 > 足立区 > 伊興
伊興
町丁
北緯35度47分43秒 東経139度47分03秒 / 北緯35.795414度 東経139.7841度 / 35.795414; 139.7841
日本
都道府県  東京都
特別区 足立区
人口情報2025年(令和7年)1月1日現在[1]
 人口 13,034 人
 世帯数 6,746 世帯
面積[2]
  0.854731185 km²
人口密度 15249.24 人/km²
郵便番号 121-0823[3]
市外局番 03(東京MA[4]
ナンバープレート 足立
ポータル 日本の町・字
ポータル 東京都
プロジェクト 日本の町・字
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伊興本町
町丁
北緯35度47分59.19秒 東経139度47分13.73秒 / 北緯35.7997750度 東経139.7871472度 / 35.7997750; 139.7871472
日本
都道府県  東京都
特別区 足立区
人口情報2025年(令和7年)1月1日現在[1]
 人口 2,939 人
 世帯数 1,486 世帯
面積[2]
  0.217289097 km²
人口密度 13525.76 人/km²
郵便番号 121-0807[5]
市外局番 03(東京MA[4]
ナンバープレート 足立
ポータル 日本の町・字
ポータル 東京都
プロジェクト 日本の町・字
テンプレートを表示

伊興(いこう)は、東京都足立区北部の地名、および地域名称。現行行政地名は伊興一丁目から伊興五丁目、伊興本町一丁目および伊興本町二丁目。

隣接する地域は、北は西伊興および東伊興、東は東伊興および西竹の塚、南は栗原および西新井、西は西伊興。

地理

東京都足立区北部の伊興地域の中・東部に位置する。町域内には寺社が多く点在し、特に東伊興四丁目一帯は「伊興寺町」と呼ばれている。 旧伊興町は、広範囲であり、現在の住居表示では、伊興伊興本町西伊興東伊興西竹の塚になる。 本項では、旧伊興町についても記述する。

地価

住宅地の地価は、2025年令和7年)1月1日公示地価によれば、伊興本町1-13-19の地点で35万1000円/m2となっている[6]

伊興町の歴史

  • 江戸時代新編武蔵風土記稿(小名:早房厨子 会田 北根 下戸(おりと) 西島 横沼)
  • 1868年(明治元年)武蔵国足立郡淵江領伊興村
  • 1872年(明治4年)東京府南足立郡淵江領伊興村
  • 1889年(明治22年)5月1日 南足立郡淵江村に編入 南足立郡淵江村大字伊興
  • 1891年(明治24年)4月1日 南足立郡淵江村より独立 南足立郡伊興村
  • 1932年(昭和7年)10月1日南足立郡東京市に編入し足立区になり、東京市足立区伊興町になる。伊興村には、大字がなく、16の小字で構成されていた。東京市に編入される際に、「通し地番の町村は小字の区域を以て新町の区域とすること」「小字名に旧町村名を冠記したるものを以て新町名とすること」という東京市の整理方針基準条項に旧伊興村が該当していた。小字名に伊興町を冠して新町名とした。
  • 1943年(昭和18年)7月1日東京市東京都になり東京都足立区伊興町となる。
  • 1963年昭和38年) - 伊興地域の土地改良事業は、伊興町の西地域と東地域での耕地整理を開始した。伊興町大境、伊興町本町、伊興町見通の全域、伊興町狭間・伊興町白幡の一部(寺町付近)は、範囲外であった。
  • 1967年(昭和42年)12月 耕地整理が終了した、
  • 1968年(昭和43年)4月1日 - 赤山道以西の伊興町吉浜、伊興町五反田、伊興町一丁目の全域、伊興町京伝、伊興町番田、伊興町槐戸、伊興町諏訪木、古千谷町、舎人町の一部をもって西伊興町が成立。赤山道以東の伊興町聖堂(全域)伊興町五庵、伊興町谷下、伊興町白幡、伊興町狭間、竹塚町の一部をもって東伊興町が成立(住居表示は未実施で地番表示)
  • 1987年(昭和62年)10月10日 - 伊興地域の住居表示が実施され、伊興一丁目 ~五丁目が成立。伊興町の旧区域とは同一ではない。(同時に西伊興西竹の塚地域も行われた)
  • 1997年(平成9年)10月4日 - 住居表示が実施され、伊興本町一丁目 ~二丁目が成立。
  • 2001年(平成13年)11月17日東伊興四丁目の住居表示において、最後まで、残っていた伊興町狭間、伊興町白幡は消滅し、伊興町はなくなった。伊興前沼保育園や伊興町前沼、伊興番田交差点、伊興町吉浜のバス停など一部の施設名などに僅かにその名を留めている。この日に、東伊興町も消滅をした。現在では、西伊興町だけが残存している。
  • 伊興町は、伊興町諏訪木2200番地のように伊興町全体で地番表示されていた。一番地は不明ではあるが、現在の西保木間四丁目13番付近は、伊興町谷下で、この付近から、番地が進んでいたようである。最後は、伊興町槐戸で、4646番が見られる。現在の西新井4丁目25番付近である。
  • 伊興町全体を見ると、南は西新井町、東は竹塚町、保木間町に北は毛長堀で、埼玉県に、西は古千谷町、谷在家町に接していた。今は、東武線の西側に東伊興や伊興があるが、一番西端は、毛長川の水神橋であった。現在の、西保木間(足立清掃工場)の付近は、伊興町白幡であり、伊興町前沼は竹の塚駅の東側にも存在していた。


伊興町旧町名と現在地
旧町名 現在地
伊興町谷下 いこうまちたにした 「やじった」とも呼ばれていた。現在の東伊興2丁目付近。1999年の住居表示までは、毛長堀北側に残存していた。(現在の東伊興2丁目5・21番)1999年に消滅。
伊興町聖堂 いこうまちせいどう 東伊興一丁目西側。はんの木橋から聖一の橋付近。赤山街道東側。1968年に消滅。
伊興町五庵 いこうまちごあん 東伊興一丁目西側。聖一の橋から滝野川信用金庫付近。1997年に消滅。
伊興町狭間 いこうまちはざま 東伊興四丁目付近。東伊興町の土地改良事業は未実施。伊興寺町とも呼ばれている。2001年に消滅。
伊興町白幡 いこうまちしらはた 東伊興三丁目付近。史跡公園は、白旗塚と言われていた。2001年に消滅。
伊興町前沼 いこうまちまえぬま 伊興本町一丁目,西竹の塚二丁目,東伊興三丁目南部付近。竹の塚駅東口付近まで存在。1999年に消滅。
伊興町見通 いこうまちみとおし 「みとおり」とも呼ばれていた。赤山街道の西側。西竹の塚一丁目北部、伊興三丁目一部。七曲りまでの地域。1987年に消滅。
伊興町大境 いこうまちおおざかい 伊興一丁目、伊興三丁目の大部分で、面積が広い。1987年に消滅。
伊興町諏訪木 いこうまちすわぎ 西新井三丁目9番以上、西新井四丁目26番から38番付近。多くの地域は、西新井三~四丁目に(1967年)。伊興地域の住居表示までは、伊興一丁目5番、6番に残存していた。1987年に消滅。
伊興町一丁目 いこうまちいっちょうめ 現在の伊興一丁目とは異なる。西伊興小学校付近から西新井消防署と西伊興一丁目1~4番付近1968年に消滅。
伊興町五反田 いこうまちごたんだ 伊興小学校西側と西伊興二丁目、三丁目東側付近。1968年に消滅。
伊興町本町 いこうまちほんちょう 伊興本町とは異なる。元々は村廻とよばれていた。伊興二丁目,四丁目、五丁目の広い地域。本木堀より、東側。南は源正寺、北は伊興中学校付近。1997年に消滅。
伊興町吉浜 いこうまちよしはま 西伊興4丁目付近。ライフ、東伊興クリニック付近。1968年に消滅。
伊興町番田 いこうまちばんでん 「ばんだ」とも言われる。西伊興4丁目西側付近。西新井堀と本木堀に挟まれた地域。交差点名やセブンイレブン店名に残っている。1970年に消滅。
伊興町京伝 いこうまちきょうでん 西伊興1丁目から吉野家付近まで。1970年に消滅。
伊興町槐戸 いこうまちさいかちど 西伊興1丁目の西部と西新井4丁目25番付近。1968年に消滅。
住居表示区域と旧町名
町名 住居表示実施直前の町名 住居表示実施日
伊興 いこう一丁目 伊興町大境、伊興町諏訪木、伊興町本町 1997年10月10日
伊興二丁目 伊興町本町、西伊興町 1987年10月10日
伊興三丁目 伊興町本町、伊興町大境、伊興町見通 1987年10月10日
伊興四丁目 伊興町本町、西伊興町 1987年10月10日
伊興五丁目 伊興町本町、西伊興町 1987年10月10日
伊興本町 いこうほんちょう一丁目 伊興町前沼、伊興町本町 1997年10月4日
伊興本町二丁目 伊興町五庵、東伊興町、伊興町狭間 1997年10月4日

伊興

世帯数と人口

2025年(令和7年)1月1日現在(足立区発表)の世帯数と人口は以下の通りである[1]

丁目 世帯数 人口
伊興一丁目 1,322世帯 2,418人
伊興二丁目 1,088世帯 2,371人
伊興三丁目 1,671世帯 3,101人
伊興四丁目 1,600世帯 2,953人
伊興五丁目 1,065世帯 2,191人
6,746世帯 13,034人

人口の変遷

国勢調査による人口の推移。

人口推移
人口
1995年(平成7年)[7]
11,126
2000年(平成12年)[8]
11,598
2005年(平成17年)[9]
12,109
2010年(平成22年)[10]
12,533
2015年(平成27年)[11]
12,289
2020年(令和2年)[12]
12,543

世帯数の変遷

国勢調査による世帯数の推移。

世帯数推移
世帯数
1995年(平成7年)[7]
4,350
2000年(平成12年)[8]
4,619
2005年(平成17年)[9]
4,971
2010年(平成22年)[10]
5,518
2015年(平成27年)[11]
5,427
2020年(令和2年)[12]
5,999

学区

学区

区立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる、なお、足立区では学校選択制度を導入しており、中学校は区内全域から選択することが可能。ただし、小学校に関しては、学区域または学区域に隣接する学校のみの選択になる。

丁目 番地 小学校 中学校
伊興一丁目 1〜17番
20番以降
足立区立栗原北小学校 足立区立第十四中学校
18〜19番 足立区立伊興小学校
伊興二丁目 1〜2番
9〜12番
17〜19番
20番以降 足立区立伊興中学校
3〜8番
13〜16番
足立区立西伊興小学校
伊興三丁目 1〜6番
8番〜9番9号
9番14号〜19番
21番5号
足立区立栗原北小学校 足立区立第十四中学校
7番
9番10〜13号
20番〜21番4号
21番6号以降
足立区立伊興小学校
伊興四丁目 1〜10番
12〜15番
11番
16番以降
足立区立伊興中学校
伊興五丁目 3番以降
1〜2番 足立区立第十四中学校

事業所

2021年(令和3年)現在の経済センサス調査による事業所数と従業員数は以下の通りである[13]

丁目 事業所数 従業員数
伊興一丁目 48事業所 413人
伊興二丁目 41事業所 387人
伊興三丁目 77事業所 476人
伊興四丁目 60事業所 297人
伊興五丁目 41事業所 206人
267事業所 1,779人

事業者数の変遷

経済センサスによる事業所数の推移。

事業者数推移
事業者数
2016年(平成28年)[14]
269
2021年(令和3年)[13]
267

従業員数の変遷

経済センサスによる従業員数の推移。

従業員数推移
従業員数
2016年(平成28年)[14]
1,442
2021年(令和3年)[13]
1,779

伊興本町

世帯数と人口

2025年(令和7年)1月1日現在(足立区発表)の世帯数と人口は以下の通りである[1]

丁目 世帯数 人口
伊興本町一丁目 749世帯 1,412人
伊興本町二丁目 737世帯 1,527人
1,486世帯 2,939人

人口の変遷

国勢調査による人口の推移。

人口推移
人口
2000年(平成12年)[8]
2,202
2005年(平成17年)[9]
2,345
2010年(平成22年)[10]
2,278
2015年(平成27年)[11]
2,283
2020年(令和2年)[12]
2,789

世帯数の変遷

国勢調査による世帯数の推移。

世帯数推移
世帯数
2000年(平成12年)[8]
901
2005年(平成17年)[9]
1,007
2010年(平成22年)[10]
1,100
2015年(平成27年)[11]
1,083
2020年(令和2年)[12]
1,341

学区

区立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる(2023年4月時点)[15]。なお、足立区では学校選択制度を導入しており、区内全域から選択することが可能。ただし、小学校に関しては、2018年(平成30年)度から学区域または学区域に隣接する学校のみの選択になる[16]

丁目 番地 小学校 中学校
伊興本町一丁目 全域 足立区立東伊興小学校 足立区立第十四中学校
伊興本町二丁目 全域

事業所

2021年(令和3年)現在の経済センサス調査による事業所数と従業員数は以下の通りである[13]

丁目 事業所数 従業員数
伊興本町一丁目 47事業所 251人
伊興本町二丁目 31事業所 520人
78事業所 771人

事業者数の変遷

経済センサスによる事業所数の推移。

事業者数推移
事業者数
2016年(平成28年)[14]
72
2021年(令和3年)[13]
78

従業員数の変遷

経済センサスによる従業員数の推移。

従業員数推移
従業員数
2016年(平成28年)[14]
858
2021年(令和3年)[13]
771

交通

鉄道

現在伊興を冠する住所内には鉄道駅は存在しないが、もともとは伊興の一部だった隣接する西竹の塚東武鉄道竹ノ塚駅が所在するため、地域住民鉄道交通手段の利用に不便はない。また、2008年3月30日日暮里・舎人ライナーが開業し、3つの新駅(谷在家、舎人公園駅、舎人駅)が伊興地区西部から徒歩利用可能圏となった。

バス

道路

伊興・伊興本町を区画する本通りは比較的整備されているものの、それ以外の町域内の道路網は細く曲がりくねった道が多い。「七曲がり」と呼ばれる道路はこのような道路事情を端的に示している。

施設

行政
文化
  • 足立区立伊興図書館
  • 足立区立伊興住区センター
教育
その他
  • 足立伊興郵便局
  • 足立東伊興郵便局
  • 足立西伊興郵便局

史跡

  • 薬師寺
  • 源正寺

歴史

当地区の歴史は、足立区内の中でも最も古い部類に入る。現在の東伊興地区からは伊興遺跡が発見されており、少なくとも古墳時代には住民がいたことが分かっている。戦国時代末期には既に伊興村の原型が出来ていたと考えられている。

年表

  • 1889年5月1日(水) - 南足立郡伊興村が周辺の村と合併し、渕江村が成立する。
  • 1891年4月1日(水) - 淵江村から伊興村が独立。
  • 1932年10月1日(土)- 東京市に編入され、同市足立区の一部となる。旧伊興村の領域は、従来の小字名を付した町名が付けられたが、村廻耕地は伊興町「本町」と改名された。
    • 以下町名の「伊興町」の部分を省略する。
  • 1966年11月11日(土)- 見通、大境、前沼、谷下、白幡の一部で住居表示が実施され、竹の塚一、六、七丁目、西保木間四丁目の一部に編入される。
  • 1967年3月15日(水)- 諏訪木の一部が、西新井町区画整理組合(第二工区)により、西新井三丁目、四丁目の一部に編入される。京伝・槐戸の一部は、西新井四丁目に編入された。
  • 1968年4月1日(月)- 伊興町土地改良区事業が実施されていた地区のうち、赤山道以東の聖堂の全域と谷下、五庵、狭間、白幡、竹塚町の一部が「東伊興町」に、赤山道以西の吉浜、五反田、一丁目、槐戸の全域と番田、京伝、諏訪木、古千谷町、舎人町の一部が「西伊興町」になる。
    • この当時既に宅地化されていた地域は耕地整理事業が実施されなかったため、町名が変更されなかった。
  • 1970年4月1日(水)- 古千谷耕地整理事業の終了により、番田、京伝の残存地域が古千谷一丁目から三丁目の一部になる。
  • 1987年10月10日(土)- 大境の全域と諏訪木の残存地域、本町と見通の大半、西伊興町の一部に住居表示が実施され、伊興一丁目から五丁目と、西竹の塚一丁目、西伊興一丁目から四丁目が設置される。
  • 1988年5月15日(日)- 谷下の一部に住居表示が実施され、東伊興二丁目に編入される。
  • 1997年3月1日 (土)- 見通の残存地域と前沼の一部に住居表示が実施され、西竹の塚二丁目となる。
  • 1997年10月1日(水)- 五庵、本町の残存地域と前沼、狭間、白幡、東伊興町の一部に住居表示が実施され、伊興本町一、二丁目が設置される
  • 1999年7月3日(土) - 前沼、谷下の残存地域と白幡の一部に住居表示が実施され、東伊興三丁目に編入される。
  • 2001年11月7日(水) - 狭間、白幡の残存地域に住居表示が実施され、東伊興四丁目に編入される。これにより「伊興町○○」という地名は消滅。
  • 2005年7月23日(土)16時35分頃 - 千葉県北西部地震足立区伊興で震度5強を観測した。
  • 2021年10月7日(木) 22時41分頃- 千葉県北西部地震足立区伊興で震度5強を観測した。

その他

日本郵便

  • 集配担当する郵便局と郵便番号は以下の通りである[17]
町丁 郵便番号 郵便局
伊興 121-0823[3] 足立北郵便局
伊興本町 121-0807[5]

参考文献

脚注

  1. ^ a b c d 足立区の町丁別の世帯と人口(令和7年)” (CSV). 足立区 (2025年1月9日). 2025年3月20日閲覧。 “(ファイル元のページ)(CC-BY-4.0)
  2. ^ a b 『国勢調査町丁・字等別境界データセット』(CODH作成)”. CODH. 2023年10月28日閲覧。(CC-BY-4.0)
  3. ^ a b 伊興の郵便番号”. 日本郵便. 2023年10月28日閲覧。
  4. ^ a b 市外局番の一覧”. 総務省. 2019年6月24日閲覧。
  5. ^ a b 伊興本町の郵便番号”. 日本郵便. 2023年10月28日閲覧。
  6. ^ 国土交通省 不動産情報ライブラリ”. 国土交通省. 2025年3月19日閲覧。
  7. ^ a b 平成7年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2014年3月28日). 2019年8月16日閲覧。
  8. ^ a b c d 平成12年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2014年5月30日). 2019年8月16日閲覧。
  9. ^ a b c d 平成17年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2014年6月27日). 2019年8月16日閲覧。
  10. ^ a b c d 平成22年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2012年1月20日). 2019年8月16日閲覧。
  11. ^ a b c d 平成27年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2017年1月27日). 2019年8月16日閲覧。
  12. ^ a b c d 令和2年国勢調査の調査結果(e-Stat) -男女別人口,外国人人口及び世帯数-町丁・字等”. 総務省統計局 (2022年2月10日). 2022年2月20日閲覧。
  13. ^ a b c d e f 経済センサス‐活動調査 / 令和3年経済センサス‐活動調査 / 事業所に関する集計 産業横断的集計 事業所数、従業者数(町丁・大字別結果)”. 総務省統計局 (2023年6月27日). 2023年9月15日閲覧。
  14. ^ a b c d 経済センサス‐活動調査 / 平成28年経済センサス‐活動調査 / 事業所に関する集計 産業横断的集計 都道府県別結果”. 総務省統計局 (2018年6月28日). 2019年10月23日閲覧。
  15. ^ 区立小・中学校の通学区域表・通学区域図” (PDF). 足立区 (2023年4月1日). 2023年10月28日閲覧。 “(ファイル元のページ)
  16. ^ 学校選択制度について”. 足立区 (2017年6月1日). 2017年12月7日閲覧。
  17. ^ 郵便番号簿 2022年度版” (PDF). 日本郵便. 2023年10月28日閲覧。

関連項目

外部リンク



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