伊能忠敬高橋至時父子との交流とは? わかりやすく解説

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伊能忠敬・高橋至時父子との交流

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/12 00:46 UTC 版)

堀田正敦」の記事における「伊能忠敬・高橋至時父子との交流」の解説

正敦の在任中、伊能忠敬測量隊を率いて日本中を歩き回り大日本沿海輿地全図作り上げたことは有名だが、その仕事後押ししたのは正敦だった。 きっかけ定信祖父第8代将軍徳川吉宗が暦の改訂取り掛かったことで、定信祖父果たせなかった事業成功させるべく継続したが、彼が老中首座辞任した後は正敦が後任老中首座松平信明らと引き継ぎ寛政7年1795年)に間重富高橋至時2人召し出し天文方採用改暦事業に当たらせた。寛政9年1797年10月2人努力改暦果たされ10年1798年)に寛政暦施行されたが、後にズレ判明したため改暦事業復活することになる。 一方重富と至時の江戸出府前後して伊能忠敬江戸へ移り住み、至時に頼み込んで弟子になったが、この一件は正敦と関係が深い桑原隆朝の介入があったと推測されている。桑原仙台藩医で仙台藩出身の正敦と繋がりがあり、忠敬の3人目の妻ノブ父親でもあるため、忠敬に正敦と至時が進めている改暦事業話し、正敦に口添えした上で時に忠敬を推薦したではないかとされている。 忠敬は至時の下で天文学勉強、やがて寛政12年1800年)から測量隊を率いて日本測量地図作成始まっていくが、第1回目測量から桑原が忠敬に向けて幕府次の測量申請勧めている。桑原はある人物の意向手続き伝えているが、この人物は正敦とされ、幕府はまだ援助出来ないが、地図がよく出来ていることと測量継続内密に忠敬へ伝えるため、桑原を介して連絡取っていたのではないか推測されている。事実、正敦と桑原この後忠敬へ指示送り続け、忠敬も2人連絡取り合っている。 正敦の地図作成事業関わり第2回目測量計画の修正を忠敬へ指示文化元年1804年)に東日本部分作られ地図拝見、忠敬を小普請組編入させて幕臣登用したことなどが挙げられる。また国防問題関心があり、引退後幕府影響力がある定信との話し合いがあったとされ、地図作成幕府の公式事業に格上げされるなど定信関与推定される場面もあり、文化3年1806年)に第5回測量隊員達が忠敬の不在中に揉め事起こしたことが報告された際、忠敬に注意した穏便な処置済ませている。こうした出来事経て測量完遂され、忠敬死後の文政4年1821年)に至時の息子景保が完成した大日本沿海輿地全図提出展示された後に紅葉山文庫保管された。なお、地図保管11月だったが、先立って7月一部地図が正敦に預けられ家臣通して紅葉山文庫保管されたことが記録されている。 景保とは『観文禽譜編纂の際に情報提供してもらうだけでなく、外交に関する諜報従事させたと推定されている。正敦の命令で彼はオランダ商館フィリップ・フランツ・フォン・シーボルト情報交換合ったともいわれ、それを示す証拠は見つかっていないが、シーボルト事件獄死したにも拘らず観文禽譜』に載っているエトピリカの項目に彼の名前が残されていること、その記述から外国本の翻訳作業取り組んでいたことが書かれていたこと、文政9年1826年)に江戸へ参府したシーボルトへ正敦がペンギン観文禽譜ではヘングイン)について剥製見たことがある栗本丹洲通して質問したことから、景保とシーボルトの関係に正敦が深く関わっていたことが推察される。不遇だった最上徳内蝦夷地探検再開出来たのも正敦が関与したといわれ、彼にとって蘭学図鑑編纂という趣味だけでなく、大槻玄沢通した外国翻訳情勢把握蝦夷地探検など国防外交にも必要な知識だった。

※この「伊能忠敬・高橋至時父子との交流」の解説は、「堀田正敦」の解説の一部です。
「伊能忠敬・高橋至時父子との交流」を含む「堀田正敦」の記事については、「堀田正敦」の概要を参照ください。

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