伊東崩れとは? わかりやすく解説

伊東崩れ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/20 00:37 UTC 版)

伊東義祐」の記事における「伊東崩れ」の解説

木崎原での大敗契機として、義祐の勢力次第衰退してゆく。まず、木崎原の戦いから4年後の天正4年1576年)には、伊東四十八城一つである長倉祐政治め高原城島津義久の3の兵に攻められる。義祐は援軍を出すも圧倒的な兵数差のため一戦交えず高原城水の手断たれやむなく降伏する。その翌日には小林城須木城治め米良矩重が義祐への遺恨から島津寝返り後難恐れた近隣三ツ山城野首城、更に三ツ山野尻の堺にある岩牟礼城までも島津帰する。これによって島津氏領との境界線である野尻青井岳逼迫事態陥った野尻城主・福永祐友何度も義祐に事態打開訴え出たものの、直参家臣によって訴え握り潰されてしまった。義祐の家臣団は、境界実情知っていながらも、義祐の栄華驕慢日々諫止することが出来なかった。これは義祐が諫言をする家臣遠ざけ自分都合のいい家臣だけを側近にしていたためであったとされる。 翌天正5年1577年)に入り情勢はますます悪化する6月には、南の守りの要である櫛間城島津忠長によって攻め落とされた。義祐は飫肥城主である三男・祐兵に櫛間への出兵命じたものの、逆に忠長反撃され、飫肥本城敗走。敵に飫肥城包囲されてしまった。また同じ頃、日向北部国人土持氏突如門川領への攻撃開始したため、伊東家は北は土持、南と北西からは島津氏侵攻を受けることになったのである。義祐は窮する事態人心一新図ったものか、次男・義益の嫡男嫡孫義賢家督を譲る。 同年12月野尻城主・福永祐友が、島津方である高原城主・上原尚近の説得受け入れ島津方に寝返ってしまった。福永氏伊東氏とは姻戚関係にあった為、この謀反は義祐は勿論、他氏族への大きな衝撃になった。これを知った内山城主の野村刑部少輔文綱野村松綱の子)、紙屋城主・米良主税助も島津方に寝返った為、佐土原の西の守りは完全に島津氏の手中に収められてしまったのである。さすがの義祐も事態深刻さ受け止め12月8日領内諸将動員してまず紙屋城奪回の兵を出した。ところが、途中で背後から伊東家譜代臣の謀反動き察知即座に反転して佐土原帰城した。 翌12月9日佐土原城事態打開評定開かれた南の島津方は飫肥越え佐土原攻め寄せるのは必至な状況で、籠城して島津軍迎撃する声はなかった。同日、城を包囲され逃亡してきた祐兵も佐土原城帰着。もはや義祐には残され選択肢はなかった。同日正午過ぎ、義祐は日向捨て次男・義益正室の阿喜多叔父豊後国大友宗麟を頼る決断下したであった本拠である佐土原捨て豊後目指す祐一行の進路上に、新納院財部城主・落合兼朝島津氏迎合して挙兵し報せ入った落合氏伊東氏日向下向する以前からの重臣譜代筆頭格であったが、義祐の寵臣伊東帰雲斎専横が元で子息落合丹後守殺されており、それを深く恨んでいた。落合兼朝の裏切りにより、義祐は己の今まで愚行気付き切腹しようとするが家臣らに止められる一行財部に入るのを諦め、西に迂回し米良山中経て高千穂通って豊後抜けルートを通ることにした。女子供連れて逃避行はかなり辛く苦しく、また険峻な山を猛吹雪の中 進まねばならず、当初120150程度だった一行は、途中崖から落ちた者や、足が動かなくなって自決したものなどが後を絶たず、また島津からの追撃山賊にも悩まされ豊後国着いた時はわずか80名足らずになっていたという(豊後落ち)。その中には後に天正遣欧少年使節一人となる伊東マンショの幼い姿もあった。 豊後到着した義祐は大友宗麟会見し日向攻め助力請うた。宗麟はその願いを受け、また自身日向キリスト教国にする野望抱き天正6年1578年)に門川土持氏攻め滅ぼし耳川以南島津氏激突耳川の戦い)。しかし大友氏島津氏大敗喫してしまう。大友氏大敗は、居候同然の義祐一行への風当たり繋がり、また宗麟の息子・義統が祐兵夫人・阿虎の方を奪おうとしているとの噂があったため、義祐は子の祐兵ら20余人連れ義賢大友残される伊予国渡って河野氏頼り河野通直一族大内栄運の知行地に匿われた。 その後天正10年1582年)に義祐らは伊予から播磨国に渡る。ここで祐兵は織田信長家臣羽柴秀吉仕えていた同族伊東長実の縁を得て、その斡旋秀吉扶持を受けるようになった

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