伊東家家臣時代とは? わかりやすく解説

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伊東家家臣時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/06 23:54 UTC 版)

山田宗昌」の記事における「伊東家家臣時代」の解説

天文13年1544年)、日向にて伊東氏家臣新山城主・山田宗継の子として生まれる。 永禄元年1558年)、飫肥を巡る北郷氏豊州島津氏との合戦において初陣を飾ると、敵将亀沢豊前守組み打ちの末に討ち取る亀沢島津方でも名の知れた武将だったため、初陣にしてこれを討ち取った宗昌は大い恐れられたという。永禄11年1568年)の小越の戦いでも北郷方の勝岡城主・和田民部少輔討ち取ったが、和田永禄10年1567年)の合戦で宗昌の父・宗継を討ち取った武将だったため、宗昌にとっては敵討であった永禄10年には伊東氏による興行にも参加している。 天正5年1577年)、伊東義祐薩摩国島津氏侵略により一時衰退し一時的に豊後国大友宗麟退去すると、翌天正6年1578年)、大友宗麟伊東氏救援名目日向へと出兵。義祐らを追って翌春豊後入っていた宗昌もこれに先立って日向戻り6月には長倉祐政と共に新納石城修築伊東家家臣団と共に島津軍からの侵略備えた

※この「伊東家家臣時代」の解説は、「山田宗昌」の解説の一部です。
「伊東家家臣時代」を含む「山田宗昌」の記事については、「山田宗昌」の概要を参照ください。

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