京都府聚楽第跡出土金箔瓦とは? わかりやすく解説

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京都府聚楽第跡出土金箔瓦

主名称: 京都府聚楽第跡出土金箔瓦
指定番号 548
枝番 00
指定年月日 2002.06.26(平成14.06.26)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 考古資料
ト書
員数 一括
時代区分 桃山
年代
検索年代
解説文: 本件は、京都府聚楽第出土品のうち、上京区和水町いずみちょう】と両御霊町りょうごりょうちょう】から出土した軒丸瓦のきまるがわら】・軒平【のきひら】瓦・飾【かざり】瓦および鬼【おに】瓦の一括資料である。和水町地区京都西陣公共職業安定所改築に伴う発掘調査として、平成三年十一月から平成四年二月まで実施され、約四〇平方メートル調査された。また両御霊町地区京都府警察一一〇番指令センター新築に伴う発掘調査として、平成四年六月から平成五年六月まで実施され、約二三〇〇平方メートル調査された。
 聚楽第天正十四年(一五八六)に豊臣秀吉が、平安宮大内裏だいだいり】の故地である内野築いた城郭である。天正十六四月には後陽成天皇行幸迎え外様大名たちに関白秀吉への忠誠誓わせるなど、豊臣政権にとってきわめて重要な儀式舞台であった。その後関白とともに次に譲られるが、秀次の失脚後秀吉の命により、文禄四年(一五九五)に破却された。このわずか一〇年に満たない聚楽第歴史ではあったが、この期間にも本周辺整備が行われ、とくに天正十九年の屋敷替え前後には盛んであった
 本件のうち和水町出土品聚楽第本丸建物に、また両御霊町出土品本丸東側に建てられ豊臣家関連屋敷使用されたものと考えられる軒丸瓦はほとんどが左巻き巴文ともえもん】瓦で、一部文瓦等が含まれる軒平瓦は均正唐草文きんせいからくさもん】瓦が主体で、ほかに宝珠【ほうじゆ】唐草文瓦、波文【はもん】瓦等が加わる。また飾瓦は獅子口ししぐち】、垂木先【たるきさき】瓦、棟込【むなごみ】瓦等で構成される金箔は、外縁部と主文様部に貼られているが、和水町出土品には下地ベンガラ塗り金色鮮やかに見せ工夫認められる。また天正十九年の屋敷替え建てられ屋敷使用されたと考えられる両御霊町出土品は、軒平瓦瓦当面を拡大することにより、その装飾的効果高めるなど、造瓦技法進展をうかがうことができるものである
 以上のように、本件一括資料近世研究定点として貴重であるばかりではなく当時豊臣政権権勢を知るうえで、欠くことのできないのである



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