交渉及び処理の経過
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「遺棄化学兵器問題」の記事における「交渉及び処理の経過」の解説
1987年に中国から遺棄国の責任について発言があった後、1990年に中国から日本に対して非公式な旧日本軍化学兵器処理についての打診があった。翌年から日中の局長級協議が始まり、日本の外務省から現地へ第1回調査団が送られた。1992年に中国から公式に日本の責任を問う声明が発表された。CWC発効が迫った1996年から日中協議が本格化し、1997年8月に第2次橋本内閣で閣議了解された「遺棄化学兵器問題に関する取組体制について」に基づき、内閣官房に遺棄化学兵器処理対策室が設置(後に内閣府には遺棄化学兵器処理担当室が設置)された。そして、1999年7月に第1次小渕改造内閣下で「日本国政府及び中華人民共和国政府による中国における日本の遺棄化学兵器の廃棄に関する覚書」が署名され、翌年から実際の処理作業が開始された。 処理事業は、ハルバ嶺とそれ以外の小規模事業に分けて行われている。ハルバ嶺については、当初の計画では現地に燃焼式の無害化プラントを設置し、作業工程を遠隔操作ロボット中心にするなどとされていたが、2008年度試掘調査(2008年12月-2009年1月)の結果、地中障害物の多さなどから機械作業は困難との判定がされた。そこで手作業での発掘要領の策定などを進めることとしており、2009年度にはより精密な試掘調査が実施されている。処理設備は、2012年2月時点で後述の移動式処理設備と同じ制御爆破式の試験装置が完成して現地への設置準備中のほか、加熱爆破式の試験装置をスウェーデンで製造している。なお、産経新聞は2009年1月にハルバ嶺事業が凍結されたと報じたが、上記のように試掘が進むなど事業は継続されている。 小規模事業については、手作業を中心に発掘と回収が行われ、梱包のうえ中国各地の保管施設に集積して、その後に処理を行う計画である。すでに旧軍関係者などからの聞き取りや文献調査により遺棄化学兵器の捜索が行われており、約3万6千発が回収された南京市周辺のほか、各地においても発掘回収されている。小規模事業対象の埋設地・総量の把握は困難だが、2012年9月までの外務省調査と内閣主導作業の成果を合わせて40か所以上から約4万8千発が回収され、中国国内の保管施設に置かれている。廃棄処理には、トレーラーで中国各地を移動可能な移動式処理設備の使用が、2007年の安倍晋三首相と温家宝首相の会談で合意された。1基目の移動式処理設備は南京で2010年10月に運用開始され、2012年1月時点で南京所在の約3万6千発の化学兵器のうち99.78%まで処理が進み、残された作業難度の高い化学砲弾の処理も同年前半には完了する方針である。南京での事業完了後は、武漢市へ移設して作業、さらに広州市を候補に準備中の第3処理場へ移動する。北部向けの2基目は、石家荘市で2012年半ばの運用開始が予定されており、同地での事業完了後はハルビン市へ移設される計画である。 CWCが発効した1997年から10年以内の処理を目指して作業が行われたが、期限内の完了は困難となったため、2006年にOPCW執行理事会において2012年4月までの処理期限延長が承認された。延長後の期限内でも処理が終わらなかったことを受け、2012年のOPCW執行理事会で、判明済みの小規模事業対象については2016年中の処理完了、ハルバ嶺事業については当面2022年中の処理完了を目標として最善を尽くすべきとの決定がされた。
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