九州時代
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竹岡陽一は1876年8月13日、大分県・竹岡茂平の次男として生まれた。兄は大分県会議員や中津市長を務めた竹岡吉太郎。妹のカヅは松永安左エ門に嫁いでおり、松永は義弟にあたる(ただし松永の方が1875年生まれであり年長)。1902年(明治35年)、東京専門学校邦語政治科を卒業した。 実業界における経歴は義弟の松永とほとんど一緒であり、長年松永の補佐役であった。1909年(明治42年)、福岡市の路面電車会社福博電気軌道(専務に松永)の設立に参加。1911年(明治44年)、市内の電力会社博多電灯と福博電気軌道が合併した博多電灯軌道にて会計部長に就任し、翌年同社と九州電気が合併して発足した九州電灯鉄道では経理部門を担当した。 1914年(大正3年)6月、山口県下関市の電力会社馬関電灯の専務取締役に就任し、1916年(大正5年)5月に九州電灯鉄道と合併するまで務める。引き続き下関支店長を務めた後、1917年(大正6年)に本社に転じて副支配人に就任した。当時の九州電灯鉄道の幹部は、社長伊丹弥太郎、常務取締役松永安左エ門・田中徳次郎、支配人桜木亮三といった顔ぶれであった。
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九州時代
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「田中徳次郎 (東邦電力)」の記事における「九州時代」の解説
1876年(明治9年)5月15日、田中嘉七の次男として生まれる。生家は愛知県海西郡弥富町(現・弥富市)で酒造業を営んでいた。1895年(明治28年)慶應義塾理財科を卒業し、横浜の豪商若尾幾造の商店に入る。その後三井銀行に招かれて同社に転じ、1903年(明治36年)より大阪支店にて勤め、支店長代理を経て大阪支店次長まで昇進した。1910年(明治43年)、東京本部転勤を機に三井銀行を退職する。 銀行を辞した後は九州に赴き、九州電気株式会社の取締役兼支配人に1910年9月就任した。同社は佐賀県の電力会社で、嘉瀬川上流の開発を目的として地元の中野致明・伊丹弥太郎や東京の福澤桃介らによって設立。設立には福澤グループの一員として松永安左エ門も加わっており、慶應義塾の同窓生であった松永の推挙によって徳次郎は九州電気の支配人となった。徳次郎の長男精一によると、徳次郎が三井銀行大阪支店に勤務していた時期に松永も大阪にて石炭商「福松商会」を開いており相談相手であった、という縁でスカウトされたのだという。佐賀に移り住み、その間の1911年(明治44年)に長男の精一が生まれた。なお妻(精一の母)は名古屋の旧家で米相場で財を成した高橋彦次郎の長女である。 1912年(明治45年)6月、福澤・松永らの主導により博多電灯軌道(福岡市の電灯会社博多電灯と電鉄会社福博電気軌道が前年に合併し成立)と九州電気が合併し、九州電灯鉄道株式会社が成立する。新社長には伊丹弥太郎が就き、松永と元博多電灯社長の山口恒太郎とともに徳次郎は常務取締役に就任した。常務就任につき福岡市に移住している。成立以後九州電灯鉄道は合併・買収を繰り返して1921年(大正10年)には資本金5000万円という日本でも有数の電力会社となったが、経営に対する功績は徳次郎と松永で同等であったという。 九州では九州産業鉄道という筑豊地方の鉄道会社(1919年設立)の社長も務めていたが、1922年(大正11年)10月に退き麻生太吉に譲っている。
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九州時代
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予定通りに6ヶ月の刑期を勤め終えると吉村は家業へと復帰した。その頃の吉村家は木工所から鉄工所へと事業転換をしており、両親、兄家族、姉家族と吉村の家族の一族総出で炭鉱で用いられるベルトコンベアの継ぎ手などの製造を行っていた。1952年、日本航空が業務を再開すると、吉村の下へも復職の声がかかった。飛行機に未練があった吉村ではあったが、今自分が抜けては実家の家業が立ち行かなくなると考え、鉄工所から離れることはできなかった。この頃の吉村は事業は順調であったものの、空虚感を拭いきれずに没頭できるものを求め花札博打にのめり込んでおり、正月ともなると数人の男を呼んでは数日間博打に興じ続けるという状態であった。
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