世界新記録樹立・世界選手権優勝
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/23 00:02 UTC 版)
「テディ・タムゴー」の記事における「世界新記録樹立・世界選手権優勝」の解説
2010年、2月のフランス室内選手権でコロムバ・フォファナに次ぐ2位となった後、タムゴーは世界へ目を向けた。3月の世界室内選手権に出場、決勝で1回目に17m41をマークして早々とリードを奪った。しかし、ヨンドゥリ・ベンタンゾス(英語版)が1回目に自己ベストとなる17m69を記録し、タムゴーを驚かせる。タムゴーはもっと短い記録でも優勝するには十分だと思っていたが、ベンタンゾスの跳躍の後に「やり直して全力を尽くさなければならない」と言った。2回ファウルと17m超えのジャンプを2回続けたが逆転はならず、勝利のチャンスは後1回しか残っていなかった。タムゴーは最終6回目の試技で、アリーセル・ウルティア(英語版)とクリスチャン・オルソンが持つ室内世界記録を7cm上回る17m90をマークし優勝した。タムゴーは「昨シーズンは不完全だった。しかし仲間のジャデル・グレゴリオ(英語版)とフィリップス・イドウから「もっと落ち着いて競技するように」とアドバイスを受けて、今はより強く成長し大人になったと思う。」と話した。 タムゴーの好調は屋外シーズンに入っても続き、5月のフランスクラブ選手権ではシーズン世界最高およびフランス新記録となる17m63をマークするなど5回連続17m超えを記録した。6月、タムゴーはニューヨークで行われるアディダスグランプリに出場した。この年に開始したIAAFダイヤモンドリーグへの初めての出場であった。タムゴーは3回目に17m61をマーク、5回目にそれまでの自己ベストを1cm更新する17m84を記録してリードを奪った。勝利はもう確実な状況だったが最終6回目の跳躍でジョナサン・エドワーズ、ケニー・ハリソンに次ぐ世界歴代3位となる17m98をマークした。7月のフランス選手権は前年に続いて連覇を達成したが、右ふくらはぎの痙攣に耐えなければならなかった。タムゴーはパリで行われるミーティングアレヴァへの出場を取りやめ、ヨーロッパ選手権に向けた練習でも満足に跳躍を行えなかった。7月29日に出場したヨーロッパ選手権決勝では17m45を何とかクリアして3位に入り、同大会で初めてメダルを獲得した。タムゴーは8月6日のDNガラン、8月27日の最終戦メモリアルヴァンダムで優勝を飾り、ダイヤモンドリーグ男子三段跳の初代年間王者に輝いた。このシーズンの終わりにコーチの変更を発表し、新たなコーチとして世界選手権で4回優勝経験があるイバン・ペドロソの指導を受けることになった。この年タムゴーは、ヨーロッパ陸上競技連盟から最優秀新人選手賞 (European Athletics Rising Star of the Year) の表彰を受けた。 2011年、タムゴーは2月のフランス室内選手権で17m91をマークして自身が持つ室内世界記録を1cm更新、好調なスタートを切った。3月のヨーロッパ室内選手権で17m92をマークして記録をさらに1cm更新、地元パリの観衆の前で世界記録更新と金メダル獲得を果たした。7月、アスレティッシマでシーズン世界最高記録の17m91をマークして優勝した。その後オストラヴァで開かれるヨーロッパU-23選手権のウォーミングアップ中に足首を骨折し、世界選手権などその後に行われた大会に出場できなかった。11月、タムゴーはフランス陸上競技連盟から6ヶ月の出場停止処分を受けた。10月に南フランスのトレーニングキャンプでフランス人女性陸上選手と口論に及んだことが理由であった。1500ユーロの罰金が科せられ、50時間の社会奉仕が命じられた。処分と同時に2012年8月のロンドンオリンピックは出場可能とも発表された。オリンピックは右足首手術後のために参加しなかった。 2013年、タムゴーは3月に復帰し、6月のミーティング・ドゥ・モントルイユで17m01を記録した。6月30日に出場したダイヤモンドリーグ・バーミンガムグランプリは17m47を記録してクリスチャン・テイラーに次ぐ2位に入った。7月4日のアスレティッシマはペドロ・ピチャルドに敗れたものの17m40をマークした。7月13日、フランス選手権は17m49の記録で2年ぶり3回目の優勝を飾った。 8月、タムゴーはモスクワで開かれた世界選手権に出場した。16日の予選を17m41の記録で通過。18日に行われた決勝でタムゴーは1回目に17m65を成功して首位に立つ。しかしペドロ・ピチャルドが2回目に17m68をマークし逆転されてしまう。4回目に17m68を成功したものの、タムゴーはわずかに踏み切りが合わず5回目までに3回ファウルを犯して後が無かった。しかしその3回のファウルはいずれも18m超えを予感させるに十分なジャンプだった。フランスは金メダルの有力候補であるルノー・ラビレニが2位に敗れ、タムゴーは金メダルの最後の希望を一身に背負って重圧を感じていたが、最終6回目で18m04をマークし逆転に成功した。タムゴーは、エドワーズ、ハリソンに次ぐ3人目の18mジャンパーとなった。ピチャルドの最終跳躍も再逆転はならず、タムゴーはこの大会でフランス代表唯一となる金メダルを獲得、表彰式でラ・マルセイエーズを歌った。 タムゴーは2014年6月に3度にわたってドーピング検査を受けなかったとして、フランス陸連から1年間の出場停止処分を受けた。
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