ヴェルサイユ条約下
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/27 01:35 UTC 版)
詳細は「:de:Reichsmarine」を参照 ヴェルサイユ体制下でのワイマール共和国におけるドイツ海軍は、陸軍同様に厳しい制限を受けた。前述の自沈の賠償の影響が海軍の艦艇・設備に暗い影響を与えていた。 大型艦としては旧式の準弩級戦艦ブラウンシュヴァイク級「ブラウンシュヴァイク」「エルザス」「ヘッセン」「プロイセン」「ロートリンゲン」・ドイッチュラント級「ハノーファー」「シュレージェン」「シュレスヴィヒ・ホルシュタイン」、巡洋艦が第一次大戦前に建造された防護巡洋艦ブレーメン級「ベルリン」「ハンブルク」・ガツェレ級「ニオベ」「ニンフェ」「テーティス」「アマツォーネ」「メドゥーサ」「アルコナ」、駆逐艦16隻(内2隻は予備)、水雷艇16隻(内2隻は予備)、魚雷艇16隻が残されたに過ぎなかった。 さらに、海軍の総人数は15,000人に制限され、そのうち海軍士官は1,500人以下とされた。予備役は保有できず、海軍将校クラスは志願制により最低25年は勤めることとされ、その他の兵役は12年勤務に制限された。一旦、海軍を退役した軍人は、軍事教育に関わる分野への再就職は絶たれ、海軍に関する天下りもできなかった。また、第一次大戦終了時から勤務する海軍士官達は病気以外は45歳になるまでは継続勤務することを海軍に誓約せねばならなかった。 海軍の仕事として第一次大戦時に敷設した機雷の掃海作業とし、母艦の新規建造は制約されたために戦艦を掃海艇母艦へと改造するしかなかった。これらの作業は欧州大陸周辺の指定海域の安全が保障されるまで続けられた。 また、既存艦艇の更新のみ軍艦の建造ができるが、排水量は一万トンを超えることはできなかった。巡洋艦は6,000トン以下、駆逐艦は800トン、水雷艇と魚雷艇は200トン以下にまで制限された。軍艦の使用年数は戦艦と巡洋艦は20年、駆逐艦と水雷艇は15年まで使用することとされた。これらの艦艇は戦前のドイツ海軍でさえ二線級どころか退役間近のレベルであり、列強各国の海軍と比較するのもおこがましいような代物で、ドイツは連合国から海軍の再興を厳しく制限されたのである。 また、東にポーランド、西にはフランスという2つの仮想敵国が存在し、加えて、東プロイセン州がポーランドへの領土割譲により飛び地となるなど、非常に厳しい戦略状況を迎えていた。この状況下で建造されたのが、28センチ砲搭載のドイッチュラント級装甲艦である。「戦艦より速く、巡洋艦より強い」(28cm6門、27ノット)と称した、この通称ポケット戦艦は、旧式艦の多いフランスと軽艦艇のみのポーランドの双方を相手にすることへの苦肉の策とはいえ、ワシントン軍縮条約で他国に課せられた制限(『主力艦』以外は、排水量1万トン以下、備砲20センチ以下)と、ヴェルサイユ条約でドイツに課せられた制限(排水量1万トン以下、備砲28センチ以下)の間隙をうまく突いた艦であった。 戦艦シュレジェン(左)、同シュレスヴィヒ・ホルシュタイン(右手前)、同ヘッセン(右奥) 戦艦ヘッセン 戦艦シュレジェン 防護巡洋艦ニンフェ 防護巡洋艦ニオベ
※この「ヴェルサイユ条約下」の解説は、「ドイツ海軍」の解説の一部です。
「ヴェルサイユ条約下」を含む「ドイツ海軍」の記事については、「ドイツ海軍」の概要を参照ください。
- ヴェルサイユ条約下のページへのリンク