ヴェルサイユ条約からナチス・ドイツ誕生までの伊仏関係
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/24 01:37 UTC 版)
「ローマ協定」の記事における「ヴェルサイユ条約からナチス・ドイツ誕生までの伊仏関係」の解説
ヴェルサイユ条約の締結後、民族自決の原則を根拠にトリエステやダルマチアが自国領土であるべきとするユーゴスラヴィアの要求を、ロンドン秘密条約での合意を破棄してフランスが支持し、さらにアフリカでも上記条約に依ったイタリアの要求を受け入れなかったことから両国の関係は終戦直後から険悪であった。その後もフランスはチュニジアでの在住イタリア人の法的地位問題で紛争を抱え、海軍軍縮においてもイタリアとの均等配分を拒否していく一方、イタリアもまた一貫してヴェルサイユ条約の改訂・修正を要求する側に立ち、旧敗戦国の主張に追随していくなど両国間の関係は悪化の一途をたどっていた。
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