ヴェルサイユ体制下 (1920-30年代)
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「駆逐艦」の記事における「ヴェルサイユ体制下 (1920-30年代)」の解説
1919年のヴェルサイユ条約締結ののち、ドイツが第1次大戦中に建造した大型駆逐艦であるS-113・V-116は、賠償艦として、それぞれフランスとイタリアに引き渡された。また特にイタリア海軍は、地中海という限られた海域を主たる作戦海面とすることから、駆逐艦よりも大きいが高速軽快な偵察艦を建造してきていた。これらを踏まえて、1920年代より、フランスはシャカル級、イタリアはナヴィガトーリ級として、従来よりも大きく大型・高性能化した駆逐艦の配備を開始した。 1922年に締結されたワシントン海軍軍縮条約による主力艦の保有制限に伴って、日本海軍は、その制限外である駆逐艦の強化を図ることでそれを補うことを構想し、画期的な重兵装と航洋性を両立させた特型駆逐艦を開発した。その後、1930年のロンドン海軍軍縮会議によって巡洋艦にも保有制限が課されると、イギリス海軍は、シャカル級や特型を参考に、軽巡洋艦の任務の一部を肩代わりできるように砲熕火力を強化した駆逐艦として、1938年よりトライバル級の配備を開始した。またアメリカ海軍も、特型に対抗して、ロンドン条約の制限枠を最大限に活かしたポーター級を開発し、1936年より配備を開始した。 一方、1930年代後半のイギリス海軍は、これらの大型・高速で強力な駆逐艦とは逆に、船団護衛を想定した小型・低速の駆逐艦の検討も着手していた。これによって開発されたのがハント級駆逐艦で、ポーランド侵攻の3ヶ月前、1939年6月に9隻が起工されたのを皮切りに建造が始まった。 仏海軍のシャカル級。戦間期の大型駆逐艦の嚆矢となった。 日本海軍の特型。画期的な重兵装と航洋性を両立させた。 英海軍のハント級。護衛駆逐艦の嚆矢となった。
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