ワルサーGew43半自動小銃の登場
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第一次世界大戦後、ヴェルサイユ条約下の制約で半自動小銃の研究開発は中断し、本格的に再開されたのは1930年代半ばのことであった。モーゼル社ではG35、ワルサー社ではA115等、多数の試作銃が製作されたが、いずれも十分な成果が出せずに開発は打ち切られている。そんな中で特に興味深いのはハインリヒ・フォルマーが開発したフォルマーM35A自動小銃である。弾薬に中型弾を使用し連射可能だったM35Aは、A35III型まで改良を重ねられて十分な性能を示したものの、結局は1938年の第二次世界大戦開戦前には開発中止が命令されている。これにはコストの問題や主力小銃であるKar98kの増産に集中するためといった理由と共に、軍部に根強かった中型弾や自動小銃への無理解が指摘されている。その一方で半自動小銃の開発は完全に諦められたわけではなく、開戦翌年の1940年に陸軍兵器局(HWaA)はワルサー社とモーゼル社を含めた数社に設計条件を提示して半自動小銃の試作を命じている。これに対応してワルサー社とモーゼル社が提示したものは、それぞれGewehr 41 (W)、 Gewehr 41 (M)と名付けられ、1942年から実戦投入試験が行われた。その結果、より好成績を示したワルサー社製Gew41(W)が1942年12月2日付けでGewehr 41(G41)として制式採用となった。しかしながらその自動装填ガスシステム等、Gew41には問題が多く、軍はワルサー社に対して更なる改良を促した。ところで、1941年の6月から始まった独ソ戦ではドイツ軍は多くの赤軍の兵器を鹵獲した。その中にはトカレフM1940半自動小銃やシモノフM1936半自動小銃といったソビエト製の半自動小銃もあった。ワルサー社がこれらを十分に研究したのは間違いないところで、よく似たガス圧利用システムをGew41に組み込むことにより、Gewehr 43が完成されることとなった。
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