レオナルド・ダ・ヴィンチの作品とするケンプの説
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「美しき姫君」の記事における「レオナルド・ダ・ヴィンチの作品とするケンプの説」の解説
2009年5月に Hodder & Stoughton 社から出版されたケンプの書物の概要は次のようなものである。 この作品は、1490年代に流行した最先端の衣装を身にまといミラノ宮廷風の髪形をした、大人になる一歩手前の少女を描いた肖像画である。スフォルツァ家の若い女性たちを消去法で選別していった結果、ケンプは描かれているモデルがミラノ公ルドヴィーコ・スフォルツァの非嫡出子(後に嫡出子と認められた)ビアンカ・スフォルツァであると結論付けた。1496年にわずか13歳のビアンカは、ミラノ公国軍人ガレアッツォ・ダ・サンセヴェリーノと結婚している。夫となったガレアッツォはレオナルド・ダ・ヴィンチの後援者だった人物である。しかし結婚後数ヶ月で、ビアンカは子宮外妊娠と思われる腹部の疾病で死去してしまう。そして、この夭折したミラノ公女を悼む羊皮紙に書かれた詩歌集が編まれた。このような「周囲に愛された淑女」の肖像画は婚礼などの祭礼時をはじめ、特に死去した際に献じられた詩歌集の扉絵や挿絵として制作されることが多かった。 デジタル解析と実地調査の結果『美しき姫君』から、次のような物理的、科学的物証が得られた。 黒、赤、白のパステル、フランス製の絵の具、ペンとインクといった複数の顔料から描かれている。 輪郭線、陰影技法のハッチングは明らかに左利きの画家の手によるもので、ダ・ヴィンチも左利きの芸術家として知られている。 全体的に大きく描き直された痕跡がある。 描かれている少女は、髪に隠れて浮き出すかのように表現された耳の形状や、琥珀色の瞳の虹彩など細部まで詳細に表現されている。 英国王室ロイヤル・コレクションが所蔵するダ・ヴィンチのドローイング『女性の横顔』と作風が非常によく似ており、他のダ・ヴィンチの手による習作と同様に微細な修正が何度も施されている。 スフォルツァ家一族の肖像画は慣例として横顔で描かれ、一方でルドヴィーコ・スフォルツァの愛妾たちの肖像画は横顔では描かれていない。 この肖像画の頭と顔は、ダ・ヴィンチが手稿に書き残した絵画技法にしたがって描かれている。 衣服と髪飾りの織細工もしくは結び糸細工の表現手法は、ダ・ヴィンチが他の作品や工房の意匠として描いたものと合致する。 この肖像画は羊皮紙に描かれており、現在知られているダ・ヴィンチが羊皮紙に描いた作品は存在しないが、当時のダ・ヴィンチはフランスの絵画手法である羊皮紙への乾式着色技法に興味を持っていた。1494年当時ミラノに滞在していたフランス人画家ジャン・ ペレアル(en)に対して、機会があればパステルを用いた着色技法について質問することというダ・ヴィンチの手稿が残っている。 使用されている羊皮紙の縦横比は √2 の長方形で、これはダ・ヴィンチのほかの肖像画と同じ割合のサイズである。 この羊皮紙は写本を切り取ったもので、スフォルツァ家出身の女性の生涯における主要な事跡を描いた詩歌集から切り取られていると思われる。 羊皮紙の左上部には指紋があり、この指紋は現在バチカン美術館が所蔵するダ・ヴィンチの未完の作品『荒野の聖ヒエロニムス』に残されている指紋と酷似している。さらに『美しき姫君』に描かれている少女の頚部のパステル彩色部分には手のひらの跡があり、指や手のひらも使って絵画を描いたダ・ヴィンチの制作手法と合致する。 少女の衣装の緑色の部分は下地の羊皮紙が黄色がかっているために緑色っぽく見えるだけで、実際は黒一色のパステルの濃淡で表現されている。 肌色部分に見られる微妙な陰影も、ごく薄く彩色された顔料を通して下地の羊皮紙の色調を見せることによって表現されている。 『美しき姫君』と『白貂を抱く貴婦人』に描かれているチェチーリア・ガッレラーニの肖像には、眼の表現、手を使った肌色のぼかし表現、髪を包む複雑な織物飾り、輪郭線の扱いなど様々な点で注目すべき類似性が見られる。 ペンとインクで描かれたもともとの輪郭線は後世の修復作業で描き直されている。 数年にわたって修正されてきた痕跡があり、特に衣装と髪飾りの部分で顕著であるが、これらの修正は肖像に描かれた顔の表情や与える印象に大きな影響を及ぼすものではない。
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