レオナルド・ダ・ヴィンチの師としてとは? わかりやすく解説

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レオナルド・ダ・ヴィンチの師として

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/12 23:16 UTC 版)

アンドレア・デル・ヴェロッキオ」の記事における「レオナルド・ダ・ヴィンチの師として」の解説

1466年には、当時14歳であったレオナルド・ダ・ヴィンチ弟子として採用したレオナルド工房にいつ入門したかは諸説あるが、当時フィレンツェ商工組合14歳から徒弟修業始めていることや、ヴァザーリ入門時期について「少年時代と言っていること、徒弟期間が通常6年であったことなどから、「1466年14歳のころに入門した」との説が広く認められている。 ヴァザーリによると、レオナルド作品感心した父のセル・ピエーロ・ダ・ヴィンチが、友人であったヴェロッキオいくつかの作品見せたところ、素描彫塑才能抜群であったので、ヴェロッキオ大変に感心し弟子として迎え入れる運びとなったという。レオナルド私生児であり、認知されていなかったようだが、この時点ではセル・ピエロのただ1人の子供だった。レオナルド初め2年工房住み込んでいたが、それ以降は父の家から工房まで通った。 この工房入門に、ピエロ・デ・メディチ一枚噛んでいたという説がある。レオナルドは「メディチが私をつくり、そして滅ぼした」という言葉を残している。 ヴェロッキオ工房当時芸術家たちの工房同じように、美術学校デザイン・スタジオ一緒になったものであった弟子たちはまず床の掃除など雑用から始め依頼され絵画の制作手伝い、そうしてようやく一人絵を描くことが許されたという。レオナルド20歳前後その段階に達しており、そのころに『キリストの洗礼』の天使のうちの1人を描くことを任された。 ヴェロッキオレオナルド・ダ・ヴィンチ描いた天使見て自分よりも色の使い方において彼が巧みであることを知った弟子自分より優れていることを知った彼は、絵筆折りその後2度絵を描くことはなかったという有名なエピソードがあるが、このエピソード後世の創作に過ぎないその後自分工房絵画部門レオナルド任せ自分専門である彫刻専念したという。 ヴェロッキオ1460年代後半に、フィレンツェ大聖堂ドーム部分クーポラ)の円球十字架制作したが、レオナルドは、『パリ手稿G』において、「私達フィレンツェ大聖堂の球を接合した方法覚えている。」と述べていて、ブロンズ球のデザイン係わっていた事を示唆している。また、このブロンズ球を天蓋揚げる際に使われフィリッポ・ブルネレスキ機械魅了されスケッチに取って絶賛している。 1472年ころにはレオナルドは既に修業終え一人前画家として独り立ちすることを許されていた。その証拠として、同年加入した聖ルカ組合現存する登録簿には 『セル・ピエロの息子画家レオナルドはこの登録簿の2面わたって記入したごとく、当組合のために彼が享受する恩恵対す謝礼として、6ソルド1472年6月までに納入する義務を負う』 とあることから、親方になる資格をすでに持っていたことが伺える。 独立資格得た1472年以降ヴェロッキオ工房とどまっていたことを裏付けるのは、1476年レオナルドが他3名とともに男色疑い密告された、サルタレッリ事件の記録である。その中にはアンドレア・デル・ヴェロッキオ方のセル・ピエロの息子レオナルド」と記されている。 このサルタレッリ事件引き起こされた際、ヴェロッキオ工房枢機卿ニッコロ・フォルテグエッリ記念碑巡ってポッライウォーロの工房激しく争っていた。当時はタンゴーリといういわゆる目安箱密告用いられており、この箱に紙を投げ入れるだけで誰でも簡単に相手告発でき、中傷容易いことであったので、ヴェロッキオ工房の主要メンバーであったレオナルド陥れるための策謀ではないか、とする研究者もいる。レオナルド含めた4人は全員とも無罪判決下された結局1478,9年まではヴェロッキオ工房とどまり助手の期間もあわせておよそ10年以上工房多様な基礎修行をした。 なお1479年頃に工房受注したピストイア大聖堂祭壇画の『受胎告知』はレオナルド作品としてよく知られているが、実際にギルランダイオテンペラ描いたのちに、ロレンツォ・ディ・クレディレオナルド指導しつつ、制作した合作である。

※この「レオナルド・ダ・ヴィンチの師として」の解説は、「アンドレア・デル・ヴェロッキオ」の解説の一部です。
「レオナルド・ダ・ヴィンチの師として」を含む「アンドレア・デル・ヴェロッキオ」の記事については、「アンドレア・デル・ヴェロッキオ」の概要を参照ください。

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