メディアで話題に
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/06 14:22 UTC 版)
「アナタハンの女王事件」の記事における「メディアで話題に」の解説
この男女の共同生活という敗戦秘話をメディアはセンセーショナルに取り上げ、戦争の話題に飽きかけた人々の好奇心を大いにかき立てた。最初にこの"事件"を報じたのは、1949年(昭和24年)2月22日の朝日新聞朝刊社会面最下段の小さなコラムに過ぎなかった「青鉛筆」で、「サイパン島から船で一昼夜、二百マイルほど北に『アナタバシ島』と呼ぶナゾの島がある」と島の名前も不正確にサイパンから帰国した日本人の「みやげ話」として紹介されたが、「日本軍の生き残り二十八名と女性一名がロビンソン・クルーソーみたいな生活をしている」と伝えられたが、あくまでもコラムという紙面の関係もあり、緊迫感の薄い戦後余話という内容の記事に過ぎなかった。 しかし、その1年3か月後の1950年5月10日に沖縄タイムス(太田良博記者)が、「島に今なお降伏せぬ三十名 比嘉氏は死亡 沖縄人漁夫二五名」の見出しで大きく取り上げた。「このほど連合軍当局からの要請により近親者からの投降勧告文が引揚援護庁を経て連合軍へ届けられた」と記述されていたことから、共同通信がアメリカ軍から得た情報を基に配信したことがわかり、アメリカ軍には正確な情報が入っていたことと考えられている。さらに3か月後の1950年8月14日には、2面トップで「終戦を知らずに“ア島”に七年 三十名の男の中に たった一人の女 カズ子さん、空路帰える」の見出しで「若い一女性が、このほどやっと米軍の保護に身をまかせ、グアム島経由、空路帰還を命ぜられて十一日朝、小禄飛行場に降り立った」と伝えた。和子本人へのインタビューの内容も伝え、まるで“原始生活”だ 女も木の葉で腰ミノ」「投降を決意する 女の立場から離脱」などと報道。グループ内で感情の対立が始まり、闘争が血を見るまでに至り、6人の男が犠牲に倒れたことが初めてあらわにされた。 この記事を書いた太田良博記者は、のちに随筆で回想し、ある日、「南洋のジャングルから出てきたばかりの女が名護に来ているらしい。すぐ取材してくれ」と上司に言われて会いに行ったことを告白している。太田がさらに同紙系列の別のメディアに「アナタハンの女王蜂」の題で紹介したものが、「週刊朝日」同年10月8日号に要約、転載されたが、そこでは「男三十人にたった一人 孤島の女王蜂物語 アナタハン島に七年」の見出しで、リーダーの指名で決められた「夫」の死について、和子を得ようとする他の男に殺された可能性を示唆した。また、「ちょうど蜜蜂の世界における『女王蜂』のように、男が彼女を支配するのではなく、彼女が男たちを支配するようになった」、「食と性、その二つを支配する女王として、カズさんは君臨したわけであった」とも記載された。それ以降、この「孤島の愛欲」のイメージがメディアによって流布され、世間に定着していくことになる。
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