ボクシング史上最も奇怪な試合
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/16 05:35 UTC 版)
「ジミー・カラザース」の記事における「ボクシング史上最も奇怪な試合」の解説
1954年5月2日の夜、バンコクのスパチャラサイ国立競技場でチャムルーン・ソンキトラットと対戦。カラザースにとって最後の防衛戦となった。カラザースの妻マイラとマコーネルの妻ミリーがセコンドを務めた。タイではボクシングが比較的新しい時期で、チャムルーンはタイ初の世界挑戦者だった。観衆は59,760人で、当時のバンタム級での世界最多記録を更新。227,304ドルのゲート収入があった。 .mw-parser-output .tmulti .thumbinner{display:flex;flex-direction:column}.mw-parser-output .tmulti .trow{display:flex;flex-direction:row;clear:left;flex-wrap:wrap;width:100%;box-sizing:border-box}.mw-parser-output .tmulti .tsingle{margin:1px;float:left}.mw-parser-output .tmulti .theader{clear:both;font-weight:bold;text-align:center;align-self:center;background-color:transparent;width:100%}.mw-parser-output .tmulti .thumbcaption{background-color:transparent}.mw-parser-output .tmulti .text-align-left{text-align:left}.mw-parser-output .tmulti .text-align-right{text-align:right}.mw-parser-output .tmulti .text-align-center{text-align:center}@media all and (max-width:720px){.mw-parser-output .tmulti .thumbinner{width:100%!important;box-sizing:border-box;max-width:none!important;align-items:center}.mw-parser-output .tmulti .trow{justify-content:center}.mw-parser-output .tmulti .tsingle{float:none!important;max-width:100%!important;box-sizing:border-box;align-items:center}.mw-parser-output .tmulti .trow>.thumbcaption{text-align:center}} 1954年5月4日付でカラザースの勝利を伝える『アドバタイザー』(右は掲載写真) この日、バンコクは熱帯性暴風雨に襲われ、リングは浸水して、レフェリーのビル・ヘンベリーによればリング上の水は数インチの深さになっていた。両選手はスリップを避けるために裸足で戦った。選手も観客もずぶ濡れになり、リングを照らす投光灯や電球は2、3分おきに粉々に砕け、試合はキャンバスに落ちた電球などの破片を片付けるために2度中断された。マコーネルは落ちてきた照明の破片で頭を打ち、ラウンド間にはチャムルーンに傘がさしかけられた。この試合は 熱帯性暴風雨の闘いと呼ばれ、ボクシング史上最も奇怪な試合のひとつとされている。 パンチ以外は両者互角で、チャムルーンはカラザースほどスピードはないがタフなボクサーだった。カラザースはこの試合でも目をカットしたが、技術とハードパンチで上回り、判定勝利で防衛を成功させた。レフェリーの採点は32½–27½でカラザースを支持していた。観客は納得せず15分もの間、瓶や椅子をリングに投げ入れた。チャムルーンは試合直後の放送で「試合と判定は公正なものだった。カラザースと戦う機会を得られてよかった」と話しているが、カラザースは「またこんな試合をするぐらいなら港湾労働に戻る」と語っている。カラザースは10回に右目をカット。当初、古傷が開いたものと思われていたが、傷は新しく、それほど深いものではなかった。しかし雨の中での止血作業は困難で出血は止まらず、さらに11回にはスリップして左腕を下にして平たく倒れ、顔面をキャンバスに叩きつけた。また、チャムルーンの右アッパーを受けて切った唇は2針縫合することになった。 リングサイドにいた『リング』誌の初代編集長ナット・フライシャーは、試合がもし15ラウンド制だったらカラザースは負傷によるストップで負けていただろうと述べている。カラザースの母親は、カラザースはホテル経営への転向を以前から構想しており、年内に引退しても驚かないと話した。母親はすぐにでも引退すべきだと考えており、遠征試合が決まった時には感謝したという。ただ、カラザースが仕事を始めるためには資金が必要で、試合の前の週に母親に宛てた手紙には、オーストラリアに戻る前にシンガポールや日本、フィリピンで試合をするかもしれないと書かれていたことも明かした。 カラザースの目は、傷を閉じるために何度も縫合したせいで大きな瘢痕組織ができ、整形手術が必要になっていた。目だけでなく体重にも問題を抱えており、タイでの防衛戦の直前には嘔吐していた。しかし階級を上げれば身長やリーチのアドバンテージを失い、目の傷の影響もより深刻になる。また、カラザースはファイトマネーの少なさも気にかけていた。タイでは約60,000人の観衆の前で戦い、ファイトマネーは17,000ポンドに過ぎなかった。
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