ホメロス礼讃_(アングル)とは? わかりやすく解説

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ホメロス礼讃 (アングル)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/11/16 08:15 UTC 版)

『ホメロス礼讃』
フランス語: L'Apothéose d'Homère
英語: The Apotheosis of Homer
作者 ジャン=オーギュスト・ドミニク・アングル
製作年 1827年
種類 油彩キャンバス
寸法 386 cm × 512 cm (152 in × 202 in)
所蔵 ルーヴル美術館パリ

ホメロス礼讃[1][2][3](ホメロスらいさん、: L'Apothéose d'Homère, : The Apotheosis of Homer)は、フランス新古典主義の巨匠ドミニク・アングルが1826年から1827年に制作した絵画である。油彩パリルーヴル美術館の天井を装飾するために公的発注された作品で、アングルの作品の中でも屈指の大画面に描かれた。完成すると1827年のサロンに出品された。

左右対称の構図で描かれたこの絵画は、勝利あるいは宇宙を擬人化した有翼の人物像が古代ギリシア詩人ホメロス月桂冠を授ける様子を描いている。さらに44人もの人物像が詩人へのオマージュを捧げており、一種の古典的な信仰告白の性格を備えた作品となっている。もっとも、アングル特有の硬く平面的で奥行きを感じさせない作風や、構図全体のぎこちなさは否めず、必ずしも好評を博した作品とは言えない[2][3]。現在もルーヴル美術館に所蔵されている[1][2][3][4][5][6][7]。またアングル自身による水彩画を用いた小さなヴァリアントがリール宮殿美術館に所蔵されている[8]

制作経緯

1824年にサロンで発表した『ルイ13世の誓願』(Le Vœu de Louis XIII)はアングルに多くの社会的成功をもたらした。アングルは一躍時の人となり、同年のうちにオータン大聖堂英語版のために『聖サンフォリアンの殉教』(Le Martyre de saint Symphorien)、1826年にはルーヴル美術館のために『ホメロス礼讃』という、大規模作品の公的発注を受けた。1829年には美術学校の教授に選出され、1830年代には副校長および校長を歴任することになる[9][10]。『ホメロス礼讃』はルーヴル美術館内に新たに開設されるシャルル10世美術館(Musée Charles X)の9つの展示室の天井を装飾する作品の1つとして、1826年に美術館総局長ルイ・ニコラ・フィリップ・オーギュスト・ド・フォルバン英語版伯爵によって発注された[9]。このシャルル10世美術館は現在のルーヴル美術館の古代エジプト美術部門に相当する。天井画は第9展示室のためのものであり、他の天井画はアントワーヌ=ジャン・グロオラース・ヴェルネらに発注された[9]。これらの作品はルーヴル美術館におけるブルボン朝の建築事業という壮大な伝統の中で、フランス国王シャルル10世が自身の名前を後世に残すために発注した改修プロジェクトの一環であった。発注を受ける条件の1つは1年以内に完成させることであった[11]

作品

ラファエロ・サンツィオの『アテナイの学堂』。1509年から1510年。ヴァチカン宮殿
ラファエロ・サンツィオの『パルナッソス』。1509年から1511年。ヴァチカン宮殿

新古典主義の指導者的立場を得たアングルはルーヴル美術館の天井画を任されるにあたり、古代ギリシアの芸術を美の規範とする新古典主義の理想を、古代から近現代の偉大な先人たちがギリシアの最も偉大な詩人であるホメロスを称賛することで表現しようと考えた[4]。その際にアングルがルネサンス期を代表する巨匠で、彼自身が深く敬愛するラファエロ・サンツィオフレスコ画アテナイの学堂』(La Scuola di Atene)や『パルナッソス』(Il Parnaso)に強く触発されたことは想像に難くない[3][4]。アングルはこの作品を通してラファエロと競い合おうとした。完成した絵画の色調は非常に鮮やかで澄んでおり、フレスコ画のような印象を与える。

アングルは古代ギリシア神殿を背に、画面中央のひときわ高い場所に置かれた玉座に座るホメロスを描いた。画中の詩人は神格化され、神殿のペディメントにはギリシア文字で「ホメロス」(ΟΜΗΡΟΣ)と詩人の名前が刻まれている。ホメロスの周囲には彼を中心に古典的な様式で46人もの人物像が描かれた。これらの人物は古代から現代にいたる偉大な詩人、劇作家、哲学者、芸術家、音楽家たちであり、ホメロスを礼讃するか、あるいは鑑賞者のほうを見つめている。ホメロスの背後では「勝利」あるいは「宇宙」を擬人化した白い翼を持つ女神が宙を舞い、ホメロスの頭上に黄金の月桂冠を授けている。またホメロスの足元では擬人化された『イリアス』と『オデュッセイア』がそれぞれ剣と櫂を携えて座っている。

当時の展覧会目録には、絵画について次のように記されている。「ホメロスは、ギリシア、ローマ、そして近代のあらゆる偉人たちから敬意を受けている。宇宙が彼に冠を授け、ヘロドトスが香を焚いている。『イリアス』と『オデュッセイア』は彼の足元に置かれている」。

構図

アングルは階段状の画面を中段と下段に分割し、中段を古代の偉人たちの領域、下段を古代以降の近現代の偉人たちの領域とし、ホメロスを中心とするシンメトリックな構図を作り出した。古代の偉人はほぼ全員が全身像で表され、近現代の偉人は半身像で表された(数字は下図を参照)。

  • ラファエロ・サンツィオ(5)と13世紀の詩人ダンテ・アリギエーリ(30)は例外的に画面左端でこれらの偉人たちの中に配置されている。白と黒のルネサンス風の衣装を着たラファエロはアペレスに導かれており、そのすぐそばではダンテが『神曲』で描かれているようにウェルギリウスに導かれている。ダンテはちょうど古代と近現代の中間に位置している[3]

アングルがこの構想を発展させるためにどれほど入念な準備をしたかは、ルーヴル美術館やアングル・ブールデル美術館に現存する100点以上の素描と多数の彩色習作に明らかであり、それらの中でアングルは細部をますます正確に整えていった。アングルが行った調査の広汎さは絵画に描かれたプッサンに一目瞭然である。この図像は現在ルーヴル美術館に所蔵されているプッサンの1650年の『自画像』(Autoportrait)から直接模写したものである。同様に古代の偉人たちもギリシア・ローマの胸像から写し取られている[3]。また階段に刻まれたギリシア語およびラテン語碑文は友人の考古学者デジレ=ラウール・ロシェット英語版の助けを借りて描いた[3]

描かれた人物

ホメロスを取り囲むのは古代と現代の詩人、芸術家、哲学者たちである。新しい時代の人​​物は主に構図の下層に描かれているが、アングルはルネサンス時代の芸術家ラファエロ・サンツィオミケランジェロ・ブオナローティをはるか古代の人物たちと並び立つ高い位置に置く価値があると見なした。人物は以下のとおりである[13]

批評

『ホメロス礼讃』と同じく1827年のサロンに出品されたウジェーヌ・ドラクロワの『サルダナパールの死』。ルーヴル美術館所蔵[14]

美術史家ロバート・ローゼンブラム英語版は『ホメロス礼讃』が「古典的な先例に基づいた、時代を超越した価値観のヒエラルキーに対するアングル自身の最も教条主義的主張を象徴するもの」であると述べている。古典主義的な芸術家で満たされたホメロスの神殿は、当時の人々が百科全書的な偉人の記念廟を好んだことを示しており、同時にまた新たな芸術運動であるロマン主義の攻勢に硬直化しつつあったアカデミズムの芸術的伝統が見て取れる[3]。実際、『ホメロス礼讃』はジャンルとしては高い成功を収めているものの、冷淡な印象が残る。この印象は同年のサロンにロマン主義の画家ウジェーヌ・ドラクロワが『サルダナパールの死』(La Mort de Sardanapale)を出品したことでさらに強まった。アングルはキャリアの初期には革新的な画家と見なされていたが、この対比はドラクロワによるロマン主義の刷新と、アングルが示した最も純粋な古典主義の伝統との対立を浮き彫りにした。

後に作家ジョリス=カルル・ユイスマンスは1889年に「もう新鮮味のない浅浮彫を単に機械的に作り替えたに過ぎない」と断じた[3]

ローゼンブラムによると、19世紀の他の対称性を備えた絵画作品と同じく、当時の芸術界で起こった革新に直面し、危機的状況に陥った芸術的伝統を保持するという強い決意の表れであり、ラファエロや古代の調和を復元しようとする試みである。またその表現は不思議なことに写真的であり、実際の歴史的資料から写し取られた図像を使用したために、それぞれの図像を並べた合成写真のような印象を与えるが、自身の構想に対してきわめて真摯であるだけでなく、数多くの入念な準備や工夫によって巨匠としての偉大さを示していると評した[3]

来歴

クータン・コレクションに由来する全体素描。ルーヴル美術館所蔵[15]
1865年の全体素描。ルーヴル美術館所蔵[16]

完成した『ホメロス礼讃』は1827年と1833年のサロンに出品された[4]。1855年、『ホメロス礼讃』はパリ万国博覧会で展示するため、ルーヴル美術館の天井から外された。パリ万国博覧会では天井ではなく壁に設置して展示された[1][3]。またもとの場所にはアングル門下の画家ポール・バルズ英語版レイモンド・バルズ英語版ミシェル・デュマ英語版との共同制作)による複製と置き換えられた[17]。さらにリュクサンブール美術館で展示され、その後ルーヴル美術館に戻された[3]

別バージョン

アングルは、後のいくつかの作品で再びこの主題を取り上げており、リール宮殿美術館所蔵の水彩画による年代不明のヴァリアントや[8]、1830年に死去した美術商ルイ=ジョセフ=オーギュスト・クータン(Luis-Joseph-Augute Coutan)のコレクションに由来する全体素描[15]ベルギー王室コレクションオランダ語版所蔵の『ホメロスとその案内人』(Homère et son guide, 1861年)、リヨン美術館所蔵の『オデュッセイア』(L'Odyssée)といった絵画作品などが挙げられる。リール宮殿美術館所蔵の水彩画は一見すると絵画の準備習作のように見えるが、実際には本作品の制作後に描かれた[8]。1854年、アングルは版画家ルイジ・カラマッタのための手本としてこの構図の素描に取りかかった[16][18]。アングルが自身の構想を「拡大し、完成させる」意図を表明したこの素描では、作品に含めるに相応しい歴史上の人物を選択することに時間をかけてしまったため、1865年まで完成しなかった[18][16]。最終的にイクティノスジュリオ・ロマーノジョン・フラックスマンジャック=ルイ・ダヴィッド大プリニウスプルタルコスコジモ・デ・メディチルイ14世教皇レオ10世など、数十人もの人物を追加した[13][16]。またアングルはライバルであるドラクロワに代表されるロマン主義の傾向にあまりにも近いと考えたため、シェイクスピア、タッソ、カモンイスを除外することで、人物の選定をさらに洗練させた[13][16]

影響

『ホメロス礼讃』はアングルの同時代や後続の画家たちに影響を与え、様々な作品を生み出すことになった。代表的な作例としてポール・ドラローシュの壁画『芸術家たちの歴史』(Hémicycle des Beaux-arts, 1841年)、ジャン・バティスト・ルロワールフランス語版の『ホメロス』(Homère, 1841年)、写実主義の画家ギュスターヴ・クールベの『画家のアトリエ』(L'Atelier du peintre, 1854年-1855年)を挙げることができる。ドラローシュがパリ美術学校の半円形の壁面に描いた『芸術家たちの歴史』では、3人の古代ギリシアの偉人イクティノスアペレスペイディアスイオニア式列柱と77人の芸術家の集団の中心に配置されている。ルロワールの『ホメロス』はアングルに触発されながらも、息詰まるような人物の密集は見られず、より牧歌的で開放的な雰囲気の作品と言えよう。ルロワールはホメロスを田園風景の中にあるドーリス式神殿の前に置き、弟子たちに詩歌を教える姿を描いた。クールベが本作品を超える大画面に描いた『画家のアトリエ』は非常に野心的である。クールベは明らかに『ホメロス礼讃』を参照しているが、アングルが描いたホメロスとそれを取り巻く崇拝者たちを現代風にアレンジし、現代の天才としてイーゼルの前に座って絵筆を振るう自画像を、自身を称賛する人々の中心に配置しているのである[3]

ギャラリー

準備習作ほか
『ホメロス礼讃』に影響を受けた作品
ポール・ドラローシュの壁画『芸術家たちの歴史』。1841年。パリ美術学校。

脚注

  1. ^ a b c 『西洋絵画作品名辞典』 1994, p. 16。
  2. ^ a b c 『アングル展』 1981, pp. 12-13(「カタログ」)。
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p ローゼンブラム 1970, pp. 130-133。
  4. ^ a b c d Homère déifié, dit aussi L'apothéose d'Homère”. ルーヴル美術館公式サイト. 2025年11月9日閲覧。
  5. ^ L'Apothéose d'Homère, dit aussi Homère déifié”. フランス文化省公式サイト. 2025年11月9日閲覧。
  6. ^ The Apotheosis of Homer”. Web Gallery of Art. 2025年11月9日閲覧。
  7. ^ La apoteosis de Homero. Homenaje al poeta de los poetas”. Historia Arte (HA!). 2025年11月9日閲覧。
  8. ^ a b c L’Apothéose d’Homère”. リール宮殿美術館公式サイト. 2025年11月9日閲覧。
  9. ^ a b c 『アングル展』 1981, pp. 26-33(高階秀爾「芸術の革命家・写実主義者アングル」)。
  10. ^ カリン・H・グリメ 2008, p. 30。
  11. ^ Condon, Cohn, Mongan 1983, p. 110.
  12. ^ カリン・H・グリメ 2008, p. 40
  13. ^ a b c Radius 1968, p. 103.
  14. ^ Mort de Sardanapale. Delacroix, Eugène”. ルーヴル美術館公式サイト. 2025年11月9日閲覧。
  15. ^ a b L'Apothéose d'Homère”. ルーヴル美術館公式サイト. 2025年11月9日閲覧。
  16. ^ a b c d e Homère déifié, 1865”. ルーヴル美術館公式サイト. 2025年11月9日閲覧。
  17. ^ Plafond : Homère déifié, dit aussi L'apothéose d'Homère. Balze, Jean-Paul Balze, Raymond-Joseph-Antoine”. ルーヴル美術館公式サイト. 2025年11月9日閲覧。
  18. ^ a b Condon, Cohn, Mongan 1983, p. 112.
  19. ^ Ulysses”. ナショナル・ギャラリー・オブ・アート公式サイト. 2025年11月9日閲覧。
  20. ^ Pindar and Ictinus”. ナショナル・ギャラリー公式サイト. 2025年11月9日閲覧。
  21. ^ Homère. Leloir, Auguste”. ルーヴル美術館公式サイト. 2025年11月9日閲覧。
  22. ^ L'Atelier du peintre. Gustave Courbet (1819 - 1877)”. オルセー美術館公式サイト. 2025年11月9日閲覧。

参考文献

外部リンク




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