ホメーロスとヘーシオドスの歌競べ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/10/17 20:47 UTC 版)
『ホメーロスとヘーシオドスの歌競べ』[2](ホメーロスとヘーシオドスのうたくらべ)は、古代ギリシアの文学作品。ホメーロスとヘーシオドスの歌競べ(アゴーン)を描いた物語作品[3]。作者不明。ニーチェが古典学者だった頃に研究対象としたことで知られる[1][2]。
正題『ホメーロスとヘーシオドスについて、そして彼らの生涯と競技について』(古希: Περὶ Ὁμήρου καὶ Ἡσιόδου καὶ τοῦ γένους καὶ ἀγῶνος αὐτῶν)、通称『ケルターメン』(羅: Certamen、競争)[1]。
内容
全18節からなる。歌競べを中心としつつ、多彩な話題が含まれている[1]。
- 1-4節:ホメーロスとヘーシオドスの生地、両親、名前、系譜[1]。
- 5-6節:ホメーロスへの神託。ヘーシオドスと出会ってカルキスに赴く[1]。
- 7-13節:歌競べ[1]。
- 13-14節:ヘーシオドスへの神託。ヘーシオドスの死[1]。
- 15-18節:ホメーロスへの諸国遍歴。ホメーロスの死[1]。
歌競べは、ヘーシオドスが「人間にとって最善なことは何か」と問い、ホメーロスが「そもそも生まれないこと」(テオグニス的死生観)と答える、といった問答形式で進められる[1]。連歌や算数問題のような問答も行われる[1]。ホメーロス優位に進むが、最終的に、審判のカルキス王が二人に『イーリアス』と『仕事と日』の一節を歌わせて「戦争や殺戮ばかり歌うホメーロスより労働や平和を歌うヘーシオドスのほうが良い」として、ヘーシオドスが勝利する[1][2]。
成立・受容
本作は『仕事と日』650行以下の「ヘーシオドスはカルキスで歌競べに勝利したことがある」という記述を膨らませて創作された物語と考えられる[1]。
成立時期は、3節に「神君ハドリアーヌス帝の御代に」とあることから、この部分はハドリアーヌス没後(138年以後)に書かれたと考えられるが、中心部分の成立時期は諸説ある[1]。
若き日のニーチェは、本作が前4世紀のアルキダマースの佚書『ムーセイオン』に由来するという説を唱えた[1][2]。同時代のヴィラモーヴィッツはこの説を否定したが、その後ニーチェ説を補強するパピルスが複数出土した[1][2]。現代でも成立については諸説ある[1][2]。
アリストパネース『平和』には本作と類似する箇所がある[1]。プルータルコス『モラリア』所収『七賢人の饗宴』は二人の歌競べに言及している[1][2]。
本作は14世紀の写本1冊のみによって伝存する[1]。最初の刊本はヘンリクス・ステファヌスが出版した[2]。
日本語訳
- 松平千秋 訳「ホメーロスとヘーシオドスの歌競べ」『ヘーシオドス 仕事と日』岩波書店〈岩波文庫〉、1986年。ISBN 9784003210727。
- 中務哲郎 訳「ホメロスとヘシオドスの歌競べ」『ホメロス外典/叙事詩逸文集』京都大学学術出版会〈西洋古典叢書〉、2020年。 ISBN 9784814002269。
脚注
- ホメーロスとヘーシオドスの歌競べのページへのリンク