ベルベル(タマジグ)言語・文化研究
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「ムールード・マムリ」の記事における「ベルベル(タマジグ)言語・文化研究」の解説
アルジェリア独立後の1962年に帰国し、アルジェ大学(フランス語版)で民族誌学を教えた。また、独立後は分離独立運動を警戒した政府によって大学でベルベル語を教えることが禁じられていたが、1965年にウアリ・ブーメディエン(フランス語版)新政権が誕生すると、教育相に就任したアフメド・タレブ(フランス語版)から同大学の文学部でベルベル語の講座を担当するよう個人的に依頼された。このため、正規の講座としてではなく、民族学部門の特設講座としてであったが、以後、マムリは1972年まで7年にわたって許可される限りにおいてベルベルの言語と文化を教えた。許可が下りないときにはボランティアで教えたが、1973年に高等教育課程の民族学、人類学の講座が廃止された。これらは植民者の(植民地時代の)学問であるという理由であった。 アルジェ大学の講義を続ける一方で、1969年から1980年まで人類学・先史学・民族誌学研究所(CRAPE)の所長を務めた。この研究所は1949年にアルジェ大学の人類学・先史考古学研究所として創設され、1971年12月23日に人類学・先史学・民族誌学研究所として国立科学研究機関に属する研究所となり、後の1999年に国立先史学・人類学・歴史学研究所に改称されることになる。なお、文化人類学者の宮治美江子は、1974年から75年にかけてカビリー地方で初めて本格的な調査をしたときに、1968年にアルジェ大学でマムリに師事したことから、彼の人類学・先史学・民族誌学研究所を介して調査許可を得たという。 マムリは1978年まで独自にフィールドワークを行う一方で、人類学・先史学・民族誌学研究所でアルジェリア人の若手研究者を積極的に採用するなどして、若手研究者・後継者の養成に尽力した。主にカリビー地方と同じく北部のグララ(フランス語版)のベルベルの口承文学、民族音楽学、民族史(フランス語版)を中心に調査を進め、音声言語であるベルベル語(カビール語)の文字起こしをし、ベルベル語による初のベルベル語文法書を執筆し、フランス語・タマジグ語辞典やフランス語・トゥアレグ語辞典も編纂した。口承文学の紹介では、カビール語の古詩やシ・モハンド・ウ・ムハンド(Si Mohand Ou Mhand、1848-1905年頃)の「イセフラ(isefra)」(ベルベル文学の定型詩の一つアセフル(asefru)の複数形)のベルベル語・フランス語対訳や、カリビー地方ベルベル人の物語集(児童文学作品)、ベルベル言語圏の民族音楽(国際連合教育科学文化機関(ユネスコ)の無形文化遺産)である「グララのアヘリル」に関する著書を発表した(著書参照)。
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