ベルベル人部族の支配
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「西サハラの歴史」の記事における「ベルベル人部族の支配」の解説
詳細は「ベルベル革命(英語版)」を参照 フェニキアカルタゴ人植民地が 紀元前5世紀に航海者ハンノによって設立、もしくは強化されたが、実際の痕跡は消えてしまった。"乾燥移行期" (紀元前300年頃 - 300年頃)の間のサハラの砂漠化により、3世紀からのラクダの導入前は、外の世界との接触はとても困難であった。ラクダはもっぱら荷運に使われ、人々はラクダの横を歩いていた。また、ラクダの肉と乳、皮は重要であった。1000年から1500年の間には、馬が戦争に使用された。 8世紀にイスラム教が伝来する以前は、平野に住む遊牧民(主にサンハジャ部族連合(英語版)) 、渓谷やオアシス、アウダガスト、ティシット、ウアラタ、テガーザ、トンブクトゥ、Awlil, Azuki,Tamdultの住民と共にベルベル人がサハラ西部に住んでいた。アラブからの入植者によって持ち込まれたイスラム教の信仰はまたたくまに広がった。 ベルベル人は徐々にサハラの交易ルートを開発していった。キャラバンは塩、金、奴隷を北アフリカと西アフリカの間で運んでおり、交易ルートの支配については、様々な部族間の権力闘争の中で大きな割合を占めるようになった。 西サハラのベルベル人たちは、宗教的指導者によって互いに結束し、時々自らの王朝を立てた。これは、モロッコのムラービト朝とアル=アンダルス、また17世紀のナシル・アルディンのジハード、18世紀のKuntaのカディール(英語版)[要リンク修正]運動などがこれにあたる。
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