BV 155 (航空機)
(ブロームウントフォス BV 155 から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/05 21:33 UTC 版)

ブローム・ウント・フォス BV 155 は第二次世界大戦時にドイツで試作された高高度戦闘機である。
概要
当初、本機は1942年からメッサーシュミットにおいて艦上戦闘機・Me155として開発された。当時、空母グラーフ・ツェッペリンの建造が遅れており、その艦載機として開発したBf109Tは量産もされず、10機の増加試作機も陸上基地へ転用せざるを得なかった。そこで本機は後継機として位置づけられ、当時の主力戦闘機だったBf109とできるだけ部品を共用化し、早急な開発および生産が求められた。ところが1943年に肝心の空母を含めた全ての水上艦の建造が中止されてしまい、艦上戦闘機を開発する目的自体が消滅してしまった。やむなく急降下爆撃機として開発を続行したが、ドイツが攻勢から守勢に転じると、要撃機の開発が優先されたことで再度中止となった。
それでもメッサーシュミット社ではMe155の開発を諦めず、計画を高高度戦闘機に再度変更して継続した。Me155Bと呼ばれたこの型は、新型の胴体に長大な主翼を持つ機体だったが、翼や降着装置は他のメッサーシュミット社製の機種からの流用になる予定だった。しかし、ここにきてメッサーシュミット社はMe262等の開発に忙殺されていたため、ドイツ空軍省の命令により1943年途中からブローム・ウント・フォス社に担当が代わることになった。
ブローム・ウント・フォス社ではMe155の設計を破棄し、新規にBv155として開発することになった。改めて設計し直された機体は、与圧キャビンを備えた特徴のある形状に仕上がった。長大な主翼(層流翼を採用した)の中ほどに大きな冷却器を配し、Ju87Dから流用した主脚は、外側引き込み式ながら広い脚轍間距離を有していた。当然のことながら、Bf109シリーズとの共通部品はなくなっている。
しかし、開発経緯の混乱から製作作業も進まず、試作機の初飛行は1945年2月になった。その後のテスト飛行においても、排気タービン過給機のトラブルで満足に飛行できず敗戦を迎えた。完成したのは試作1号機と2号機で、3号機が敗戦時に7割以上完成した状態だった。
スペック
155B1[1]
- 全長:11.81 m
- 全幅:20.17 m
- 全高:4.17 m
- 翼面積:38.5 m2
- 全備重量:5,613 kg
- エンジン:ダイムラー・ベンツ DB603U 1,810hp×1(TK15スーパーチャージャー付き)
- 最大速度:690 km/h
- 実用上限高度:16,830 m
- 航続距離:1,440 km
- 武装
- 乗員 1名
脚注
- ^ 「メッサーシュミット<ドイツ空軍のエース>」著者マーチン・ケイディン。加藤俊平訳1971年サンケイ新聞出版局刊
関連項目
ブローム・ウント・フォス Bv155
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/11 05:00 UTC 版)
「旭日の艦隊」の記事における「ブローム・ウント・フォス Bv155」の解説
前世では試作機で終わった高々度迎撃機。Me109の血統最後の末裔であり、第二次バトル・オブ・ブリテンでの護衛戦闘機として急遽投入されたが、ジェット戦闘機時代の過渡期となったため、全生産機数は三個戦闘機戦隊(ヤークトゲシュヴァーダー)分のみで途絶えた。両主翼中央部に備え付けられた大型冷却器が特徴。
※この「ブローム・ウント・フォス Bv155」の解説は、「旭日の艦隊」の解説の一部です。
「ブローム・ウント・フォス Bv155」を含む「旭日の艦隊」の記事については、「旭日の艦隊」の概要を参照ください。
「ブローム・ウント・フォス BV 155」の例文・使い方・用例・文例
- エリザベス女王時代 (1558‐1603).
- エリザベス 1 世は 1558 年から 1603 年までの間君臨した.
- 1558年のエリザベスの就任
- 順数の155番目の序数詞
- 1555年にルターの主義の普遍性を防御して、実際にはルターの革新を正当化するために作成されたドキュメント
- 体重が155ポンドから160ポンドの間のプロボクサー
- オランダ人のプロテスタントの神学者で、ジョン・カルバンの絶対的な予定説に反対したアルミニウス説を創立した(1559年−1609年)
- フランス人の探検家で、セントローレンス川を探検し、その領域はフランスのものであると主張した(1491年−1557年)
- フランスの1560年から1574年までの王で、その治世が彼の母カトリーヌ・ド・メディシスによって統治された(1550年−1574年)
- 英国の海洋探検家で、北極を探検して、北西航路を追い求めた(1550年−1605年)
- 1547年から1553年までのイギリスとアイルランドの王
- 1558年から1603年までの英国女王
- 英国の辞書編纂者で、イタリア語と英語の辞書で知られる(1553年−1625年)
- ロシアの皇帝(1551年−1605年)
- 1553年の9日間のイギリスの女王
- ウィリアム・シェイクスピアの妻(1556年−1623年)
- 英国の俳優で、シェイクスピア劇の最初のフォリオ版を編集した(1556年−1630年)
- 1547年から1559年までのフランスの王
- フランスのヘンリー2世の息子で、バロア朝最後のフランスの王である(1551年−1589年)
- 英国の神学者(1554年−1600年)
- ブロームウントフォス BV 155のページへのリンク