ブリテン島の科学主義、唯名論の系譜
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「中世ヨーロッパにおける教会と国家」の記事における「ブリテン島の科学主義、唯名論の系譜」の解説
12世紀から13世紀にかけてスコラ哲学は完成に向かい、それはトマス・アクィナスによって一応なされたのであるが、そのトマスと同時代のイングランドでは、オックスフォード大学を中心として、すでにスコラ哲学の解体へと向かう運動が始められつつあった。14世紀に入ってからの後期スコラ学の時代には、パリ大学ではアヴェロエス主義的な傾向が強まったのに対し、オックスフォード大学では、すでにアリストテレスに基づいた論理や概念は必ずしも尊重されず、より正確な論理的方法や概念が探究されるようになり、経験主義的な傾向が強まった[要出典]。 ブリテン島における経験主義の先駆としてはオックスフォードのロジャー・ベーコンが挙げられる。彼はトマス・アクィナスやアリストテレスを批判し、それに依拠しないで自ら実験して数学的な知識に基づいて研究した。錬金術も行い、拡大鏡を発明した。ベーコンによればトマス・アクィナスのような神学は、経験的でないから学問に値しないものであった。 その後にオックスフォードに登場したドゥンス・スコトゥスもトマス・アクィナスを批判したが、ベーコンのような経験的でないからということではなく、十分に先験的ではないために批判した。スコトゥスによれば学問とは厳密な論理的な演繹によって得られる知識である。したがって、神の問題は論理的な積み上げによって得られる知識ではないから、神学が学問の中心的分野になることはおかしいと批判した。 フランチェスコ派の修道士オッカムのウィリアムはオックスフォードの科学主義運動の頂点にあたる。ウィリアムはドゥンス・スコトゥスの考えを発展させ、普遍的なもの(抽象)は名辞によってしか知られず、事物の本質はそれぞれの個体(具体)に存するという考えを唱えた(「唯名論」)。この考えを拡張すると、普遍者は人間の心にだけ存在するのであり、外界に実在しないとされる。トマスのような世界が神の摂理で設計されているという主知主義は否定され、人間の意志が強調され、善悪はあらかじめ定められてもいないとする。これはカルヴァンの、その欲するところに従う暴君のような神近い考えである。オッカムのウィリアムは異端とみなされ裁判にかかえられたが、皇帝のドイツの宮廷に亡命し、『教皇権に関する八つの提題』を著し反教権論を展開した。ウィリアムは世俗国家の基礎を宗教から独立させようとして国家以前の自然状態を論じ、公共の福祉、共通善の実現のための契約によって国家が成立したのだと論じ、これは社会契約説の最も早い提示であった。また「万民にかかわることは万民によって約束されなければならない」と万民による立法を主張した。教会や教皇が本来は万民に開かれているべき神の啓示を独占しているが、神の啓示はすべて聖書の中に記されているため、聖書を読める者なら誰でも、神の啓示に参加できると主張して、ルターを先取りしたものであった。
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