ブラウンシュヴァイク=リューネブルク家
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/14 06:26 UTC 版)
ブラウンシュヴァイク=リューネブルク家(ドイツ語: Haus Braunschweig-Lüneburg)は現ドイツ・ニーダーザクセン州のブラウンシュヴァイク=リューネブルク一帯を統治したヴェルフ家のことを指す。この一族は後にハノーファー、ブラウンシュヴァイクの君主として発展し、ロシア皇帝やグレートブリテン連合王国の国王も輩出している。
概要
ヴェルフ家出身のハインリヒ獅子公の孫で神聖ローマ皇帝オットー4世の甥であるオットーは伯父の遺領を継承してブラウンシュヴァイク=リューネブルク公オットー1世と称した。これに因んでニーダーザクセンのヴェルフ家一門はブラウンシュヴァイク=リューネブルク家と呼ばれるように至った。
オットー1世の死後、その遺領が2人の息子アルブレヒト1世とヨハンの間で分割されたのを皮切りに、以後は一族間での領土分割が一種の慣例となっていく。長年に渡り、公国の分割と断絶、それに伴う統合を繰り返した結果、カレンベルク系が公国の大半を統治し、ベーヴェルン系が残りの部分を統治することになった。殊にカレンベルク系のエルンスト・アウグストは選帝侯位を獲得し、その息子のゲオルク・ルートヴィヒはグレートブリテン連合王国の国王の地位に就いている。他方、ベーヴェルン系からはイヴァン6世がロシア皇帝に選出されている。なお、王家及び選帝侯の名称として一般にハノーヴァーの名が使われているが、正式名称はブラウンシュヴァイク=リューネブルク選帝侯であり、王家の名称もブラウンシュヴァイク=リューネブルクの名が専ら使用された。
ナポレオン戦争期に一族は危機を迎える。神聖ローマ帝国の崩壊で選帝侯位を喪失し、イエナ・アウエルシュタットの戦いで一族の重鎮であったヴォルフェンビュッテル侯カール・ヴィルヘルム・フェルディナントが討ち死にし、公国はフランスの衛星国であるヴェストファーレン王国に吸収されたのである。戦後のウィーン会議でハノーファー王国とブラウンシュヴァイク公国が設立されたが、これによってハノーファーとブラウンシュヴァイクが明確に区分されたと言っても良い。
ブラウンシュヴァイク=リューネブルク家の分枝
古リューネブルク家
オットー1世の次男ヨハンはリューネブルクを相続したが、1369年に孫のヴィルヘルム2世の死で断絶した。
古ブラウンシュヴァイク家
オットー1世の長男アルブレヒト1世はブラウンシュヴァイクを相続し、曾孫のマグヌス2世はヴィルヘルム2世の死で相続人がいなくなったリューネブルク侯領も相続した。しかし、ヴィルヘルム2世の外孫でアスカーニエン家出身のアルブレヒト3世及び叔父のザクセン選帝侯ヴェンツェルとリューネブルク継承戦争を引き起こし、1373年に敗死した。
長男のフリードリヒ1世は戦争を終結させリューネブルクを手に入れ、ルクセンブルク家出身のローマ王ヴェンツェルの対立王に選出されるも1400年に暗殺された。公国はフリードリヒ1世の弟であるハインリヒ1世がリューネブルクを、ベルンハルト1世がブラウンシュヴァイクをそれぞれ分割相続したが、後に侯領を相互交換した。
中ブラウンシュヴァイク家
当初はマグヌス2世の次男であるベルンハルト1世がブラウンシュヴァイクを継承したが、1428年に甥でハインリヒ1世の息子であるヴィルヘルム1世が継承し、以後はヴィルヘルム1世の子孫が専らブラウンシュヴァイクを統治することになる。ヴィルヘルム1世の息子ヴィルヘルム2世は1491年に長男のハインリヒ1世にヴォルフェンビュッテルを、1495年に次男のエーリヒ1世にカレンベルクをそれぞれ譲った。後者は1584年に絶えて前者が継承することになったが、それも1634年のフリードリヒ・ウルリヒの死で断絶した。
中リューネブルク家
当初はマグヌス2世の3男であるハインリヒ1世がリューネブルクを統治していたが、その息子の代に伯父のベルンハルト1世と領土を交換し、以後はベルンハルト1世の子孫がリューネブルクを専ら統治した。直系は1559年のフランツ・オットーの死で断絶した。
フランツ・オットーの弟であるハインリヒの子孫はブラウンシュヴァイク=ベーヴェルン家となり、もう1人の弟であるヴィルヘルムの子孫はブラウンシュヴァイク=カレンベルク家となった。1634年の中ブラウンシュヴァイク家が断絶を受けて前者がヴォルフェンビュッテルを、後者がカレンベルクをそれぞれ継承した。
新ブラウンシュヴァイク家
フランツ・オットーの弟であるハインリヒから始まる。息子のアウグスト2世はヴォルフェンビュッテルを継承した。アウグスト2世の曾孫アントン・ウルリヒの后アンナはロシア皇帝イヴァン5世の外孫であったことから2人の間に出来たイヴァン6世はロシア女帝アンナによって生後2ヶ月で新皇帝に選出され、アントン・ウルリヒも皇帝の父ということでロシアに同行した。しかし翌1741年のピョートル1世の娘エリザヴェータのクーデターで廃位され、イヴァン6世は25年の長きに渡る幽閉生活の後(1764年)に殺害され、アントン・ウルリヒも8年後の1774年に虜囚の身のまま亡くなった。
カール・ヴィルヘルム・フェルディナントは一族の重鎮として、そして実質的な王党派の首領として反革命軍を率いてフランス革命戦争で戦ったが、1793年のヴァルミーの戦いで敗北を喫した。1806年のイエナ・アウエルシュタットの戦いでフランス皇帝ナポレオン・ボナパルト率いる大陸軍の前に大敗北を喫し、自身も討ち死にし、公国はフランスの衛星国であるヴェストファーレン王国に吸収された。カール・ヴィルヘルム・フェルディナントの息子であるフリードリヒ・ヴィルヘルムは「黒い軍勢」を率いてナポレオンの支配に抵抗し、その功績が認められて初代ブラウンシュヴァイク公となる。1815年にカトル・ブラの戦いで戦死すると2人の息子がそれぞれ公位を継承するも、共に男子を残さなかったため1884年に断絶した。
新リューネブルク家
フランツ・オットーの弟であるヴィルヘルムを祖とする。ヴィルヘルムの息子であるゲオルクはカレンベルクとゲッティンゲンを継承し、拠点をハノーファーに移した。息子のエルンスト・アウグストは1692年に選帝侯位を獲得し、その后ゾフィーがイングランド王ジェームズ1世の外孫であったことから、2人の息子であるゲオルク・ルートヴィヒは1714年にグレートブリテン王国の国王ジョージ1世に選出され(ハノーヴァー朝)、ハノーファーとイギリスは同君連合体制となった。
ジョージ3世の代にはフランスによるハノーファー占領と神聖ローマ帝国崩壊に伴う選帝侯位の喪失で危機を迎えるが上手く切り抜けることができ、ウィーン会議の結果、旧ハノーファー選帝侯領を中核とするハノーファー王国が創立されてその初代国王になる。1837年のヴィクトリアがイギリス王位についたことで、サリカ法によりハノーファー王位は叔父のエルンスト・アウグストが継承し、同君連合体制は解消された(ただし、イギリス王族としての身分は認められた)。ゲオルク5世は1866年の普墺戦争でオーストリア側についたことで王位を喪失するも、孫のエルンスト・アウグストはベーヴェルン系が所持していたブラウンシュヴァイク公位を継承することが認められ、結果、ブラウンシュヴァイク=リューネブルク家は一つとなった。しかし、エルンスト・アウグストは第一次世界大戦でドイツ側についたことでイギリス王族としての身分を剥奪され、それに加えて1918年のドイツ革命で公位を喪失した。
現在、存続しているのはカレンベルク系のみであり、この一族はジョージ1世の男系子孫であることからイギリス王子の称号を有する。
系図
ブラウンシュヴァイク=リューネブルク家、古リューネブルク家
|
|
|
|
|
|
|
|
|
ヴェルフ家 |
|
|
|
|
|
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|
|
|
ハインリヒ5世(1世) ライン宮中伯 |
|
オットー4世 神聖ローマ皇帝 |
|
ヴィルヘルム リューネブルク公 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|
|
|
ハインリヒ6世(2世) ライン宮中伯 |
|
|
|
|
|
オットー1世 ブラウンシュヴァイク公 (ブラウンシュヴァイク=リューネブルク家) |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|
|
|
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
アルブレヒト1世 ブラウンシュヴァイク公 (古ブラウンシュヴァイク家) |
|
ヨハン1世 リューネブルク公 (古リューネブルク家) |
|
|
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|
ハインリヒ1世 グルーベンハーゲン侯 |
|
アルブレヒト2世 ゲッティンゲン侯 ヴォルフェンビュッテル侯 |
|
ヴィルヘルム1世 ヴォルフェンビュッテル侯 |
|
オットー2世 |
|
マティルデ (バイエルン公ルートヴィヒ2世娘) |
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|
|
|
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|
グルーベンハーゲン家 |
|
古ブラウンシュヴァイク家 |
|
|
|
|
|
オットー3世 |
|
ヴィルヘルム2世 |
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
ヴェンツェル ザクセン選帝侯 リューネブルク侯 |
|
オットー (ザクセン選帝侯ルドルフ1世子) |
|
エリーザベト |
|
マティルデ |
|
ルートヴィヒ (ヴォルフェンビュッテル侯マグヌス1世子) |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|
|
|
|
|
マグヌス2世 ヴォルフェンビュッテル侯 |
|
|
カタリーナ (ベルンブルク公ベルンハルト3世娘) |
|
|
アルブレヒト3世 リューネブルク侯 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|
|
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|
|
|
|
|
|
|
古ブラウンシュヴァイク家 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ブラウンシュヴァイク=グルーベンハーゲン家
|
|
|
ハインリヒ1世 |
|
アグネス (マイセン辺境伯アルブレヒト2世娘) |
|
|
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
アルブレヒト |
|
ユーディト (ブランデンブルク=シュテンダル辺境伯ハインリヒ1世娘) |
|
ハインリヒ2世 |
|
エルヴィーズ (フィリップ・ディブラン娘) |
|
|
|
エルンスト1世 |
|
ヴィルヘルム |
|
アーデルハイト =ケルンテン公ハインリヒ6世 |
|
アーデルハイト (エイレーネー) =東ローマ皇帝アンドロニコス3世 |
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|
ジョヴァンナ1世 ナポリ女王 |
|
オットー ターラント公 |
|
フィリップ エルサレム大元帥 |
|
アリス (キプロス王ユーグ4世寡婦) |
|
アルブレヒト1世 |
|
ヨハン |
|
フリードリヒ | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
エルヴィーズ =キプロス王ジャック1世 |
|
|
|
エーリヒ |
|
|
|
|
|
オットー |
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
ハインリヒ3世 |
|
エルンスト2世 |
|
アルブレヒト2世 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|
|
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
ハインリヒ4世 |
|
|
|
|
|
フィリップ1世 |
|
エーリヒ | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
エルンスト3世 |
|
ヴォルフガング |
|
フィリップ2世 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
エリーザベト =ホルシュタイン=ゾンダーブルク公ハンス |
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
古ブラウンシュヴァイク家、中リューネブルク家、中ブラウンシュヴァイク家、ヴォルフェンビュッテル家
|
|
|
|
|
|
|
|
|
アルブレヒト2世 ゲッティンゲン侯 ヴォルフェンビュッテル侯 |
|
|
|
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
ユッタ (ヘッセン方伯ハインリヒ1世娘) |
|
オットー ゲッティンゲン侯 ヴォルフェンビュッテル侯 |
|
アグネス (ブランデンブルク=ザルツヴェーデル辺境伯ヘルマン娘) |
|
マグヌス1世 ヴォルフェンビュッテル侯 |
|
ゾフィー (ブランデンブルク=シュテンダル辺境伯ハインリヒ1世娘) |
|
|
|
|
|
|
|
エルンスト1世 ゲッティンゲン侯 |
|
エリーザベト (ヘッセン方伯ハインリヒ2世娘) |
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|
|
|
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|
|
|
|
|
マグヌス2世 ヴォルフェンビュッテル侯 リューネブルク侯 |
|
カタリーナ (ベルンブルク公ベルンハルト3世娘) |
|
アルブレヒト3世 リューネブルク公 |
|
ルートヴィヒ |
|
マティルデ (リューネブルク公ヴィルヘルム2世娘) |
|
|
|
オットー1世 ゲッティンゲン侯 |
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
フリードリヒ1世 ドイツ対立王 |
|
アンナ (ザクセン選帝侯ヴェンツェル娘) |
|
マルガレーテ (ザクセン選帝侯ヴェンツェル娘) |
|
ベルンハルト1世 リューネブルク侯 ヴォルフェンビュッテル侯 (中リューネブルク家) |
|
ハインリヒ1世 リューネブルク侯 ヴォルフェンビュッテル侯 |
|
アグネス =スウェーデン王アルブレクト |
|
|
|
|
|
オットー2世 ゲッティンゲン侯 |
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|
アンナ =チロル公フリードリヒ4世 |
|
|
|
オットー4世 リューネブルク侯 |
|
フリードリヒ2世 リューネブルク侯 |
|
ヴィルヘルム1世 ヴォルフェンビュッテル侯 (中ブラウンシュヴァイク家) |
|
ハインリヒ2世 ヴォルフェンビュッテル侯 |
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|
|
|
|
|
|
|
ベルンハルト2世 リューネブルク侯 |
|
オットー5世 リューネブルク侯 |
|
フリードリヒ3世 カレンベルク侯 ゲッティンゲン侯 |
|
ヴィルヘルム2世 ヴォルフェンビュッテル侯 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
ハインリヒ1世 |
|
|
|
|
|
ハインリヒ1世 ヴォルフェンビュッテル侯 (ブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル家) |
|
|
|
|
|
エーリヒ1世 カレンベルク侯 |
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|
|
|
オットー1世 ハルブルク公 |
|
|
|
|
|
エルンスト1世 |
|
フランツ ギフホルン公 |
|
ハインリヒ2世 |
|
ゲオルク ブレーメン大司教 |
|
エーリヒ2世 カレンベルク侯 |
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|
|
|
オットー2世 ハルブルク公 |
|
|
|
|
|
新ブラウンシュヴァイク家 新リューネブルク家 |
|
|
|
|
|
カール・ヴィクトール |
|
フィリップ・マグヌス |
|
ユリウス |
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
ヴィルヘルム・アウグスト ハルブルク公 |
|
クリストフ ハルブルク公 |
|
オットー3世 ハルブルク公 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
ハインリヒ・ユリウス |
|
フィリップ・ジギスムント オスナブリュック司教 |
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|
|
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
フリードリヒ・ウルリヒ |
|
クリスティアン ハルバーシュタット司教 |
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
新ブラウンシュヴァイク家、新リューネブルク家
|
|
|
|
|
|
|
|
|
エルンスト1世 |
|
|
|
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
フランツ・オットー |
|
フリードリヒ |
|
ハインリヒ (新ブラウンシュヴァイク家) |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
ヴィルヘルム (新リューネブルク家) |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|
|
|
ユリウス・エルンスト |
|
アウグスト2世 |
|
エルンスト2世 |
|
クリスティアン |
|
アウグスト1世 |
|
フリードリヒ4世 |
|
ゲオルク |
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
ルドルフ・アウグスト |
|
アントン・ウルリヒ |
|
|
|
|
|
イヴァン5世 ロシア皇帝 |
|
フェルディナント・アルブレヒト1世 (ブラウンシュヴァイク=ベーヴェルン家) |
|
クリスティアン・ルートヴィヒ |
|
ゲオルク・ヴィルヘルム |
|
ヨハン・フリードリヒ |
|
エルンスト・アウグスト1世 ハノーファー選帝侯 |
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
アウグスト・ヴィルヘルム |
|
ルートヴィヒ・ルドルフ |
|
|
|
|
|
エカチェリーナ |
|
アウグスト・フェルディナント |
|
フェルディナント・アルブレヒト2世 |
|
|
|
|
|
エルンスト・フェルディナント |
|
ハノーヴァー家 (イギリス・ハノーファー王家) |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
カール6世 神聖ローマ皇帝 |
|
エリーザベト |
|
カール1世 |
|
エリーザベト(アンナ) |
|
アントン・ウルリヒ |
|
フェルディナント |
|
フリードリヒ・フランツ |
|
アウグスト・ヴィルヘルム |
|
フリードリヒ・カール・フェルディナント | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
ハプスブルク=ロートリンゲン家 |
|
カール・ヴィルヘルム・フェルディナント |
|
フリードリヒ・アウグスト エールス公 |
|
イヴァン6世 ロシア皇帝 |
|
ピョートル |
|
アレクセイ |
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|
|
|
カール |
|
ゲオルク |
|
アウグスト |
|
フリードリヒ・ヴィルヘルム ブラウンシュヴァイク公 |
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|
|
|
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
カール2世 ブラウンシュヴァイク公 |
|
ヴィルヘルム ブラウンシュヴァイク公 |
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
関連項目
参考文献
ヴェルフ家
(ブラウンシュヴァイク・リューネブルク家 から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/11 09:08 UTC 版)
![]() |
ヴェルフ家(ドイツ語: Haus Welf)は、中世の神聖ローマ帝国で皇帝位を争った有力なドイツの諸侯。ヴェルフェン家(Haus Welfen)とも呼ばれる。同家の先祖はカール大帝時代の、バイエルンの高貴な家系出身のヴェルフ伯である[1] 。
概略
初期中世にバイエルンから発して、その分家がユーラブルグントの王となった。さらに初期ヴェルフ家の断絶後、その後を継いだヴェルフ=エステ家(ヴェルフェン=エステ家)が勢力を誇り、さらに分家であるブラウンシュヴァイク=リューネブルク家からイギリスのハノーヴァー王家が出ており、フェラーラとモデナのヴェルフ家が近代まで続いた。歴史に大きな足跡を残したのがヴェルフ=エステ家で、ザリエル朝、ホーエンシュタウフェン朝と帝位を争ったが、神聖ローマ皇帝となったのはオットー4世のみだった。叙任権闘争における教皇派(ゲルフ)とはこの家を指す。
初期ヴェルフ家
ヴェルフ家が歴史の表舞台に登場するのは、9世紀初めのことである。バイエルンの有力な家系に属する先祖のヴェルフ伯は、819年その娘ユーディト(Judith)がカロリング朝の皇帝ルートヴィヒ1世(敬虔王)に2番目の妃として嫁いだことによりカロリング朝における最有力貴族の一員となった。ところで、ルートヴィヒ1世はすでに817年に帝国整序令を発し、最初の妃との間の3人の息子、すなわち長男ロタール1世にイタリアと帝位を、次男ピピンにアクィタニアを、三男ルートヴィヒ2世にバイエルンを与えると決めていた[2]。
ところが823年にユーディトが四男カール(シャルル)を生み、ヴェルフ家は彼にも領土を要求する。ルートヴィヒ1世もこれに応えて829年にカールにアレマニア、アルザス、ブルグントなど広大な領域を与えることに決めたため、カロリング朝は親子兄弟の相続を巡る内戦に陥ることとなった。この内戦は843年のヴェルダン条約で決着し、この時既に亡くなっていたピピンを除く3兄弟がフランク帝国を分割することになった[3]。
ユーラ・ブルグンドのヴェルフ家
シュッセンガウ伯ヴェルフの直系の子孫はバイエルンやシュヴァーベンに勢力を誇ったが、ヴェルフの子コンラート1世の次男コンラート2世の家系はブルグント地方で勢力を拡大した。9世紀末、東フランク王でイタリア、帝位、西フランクをも束ねフランク王国を再統一したカール3世が甥のアルヌルフの反乱により廃位されると、フランク王国は混乱に陥った。この混乱に乗じ、888年、コンラート2世の息子のユラ伯ルドルフがユラ(ジュラ)山脈以北のブルグントを束ね、ブルグント王国(別名ユーラブルグント王国)を建国した。ユラ山脈以南にはアルル伯ユーグが割拠し、キスユラブルグント王国を建国した。
ルドルフ1世の息子ルドルフ2世はイタリアに積極的に介入し、922年にはイタリア王を称した。また、933年にはキスユラ・ブルグント王国に侵攻してこれを併合、アルル王国を建国して首都をアルルに置いた。
しかしルドルフ2世の孫ルドルフ3世には子供がなく、1032年の彼の死によりユーラ・ブルグントのヴェルフ家は断絶した。その王位はルドルフ3世の姉のギーゼラが神聖ローマ皇帝ハインリヒ2世の母親に当たるため、神聖ローマ皇帝に相続され、以後ブルグント王位は歴代皇帝が称することになった。
ヴェルフ=エステ家
バイエルンのヴェルフ家も1055年のケルンテン公ヴェルフ3世の死と共に断絶した。ヴェルフ3世の姉のクニグンデは9世紀から続くロンバルディアのエステ辺境伯アルベルト・アッツォ2世と結婚していたため、バイエルンのヴェルフ家はエステ家に相続されることになった(このためヴェルフ=エステ家(Haus Welf-Este)、またはヴェルフェン=エステ家(Haus Welfen-Este)ともいう)。
ヴェルフ=エステ家は1070年にクニグンデとアルベルト・アッツォ2世の次男ヴェルフ4世がバイエルン公となってドイツに基盤を築いた。子のヴェルフ5世(肥満公)は神聖ローマ皇帝ハインリヒ4世と対立し、叙任権闘争においてローマ教皇と結び教皇派のトスカーナ女伯マティルデと結婚したため、教皇派はヴェルフ(ゲルフ)と呼ばれるようになる。しかし、ヴェルフ5世は子がなく弟のハインリヒ9世(黒公)がその後を継いだ。
ザリエル朝が断絶すると、ハインリヒ9世の長男でバイエルン公を継いだハインリヒ10世(尊大公)はホーエンシュタウフェン家のコンラート3世と帝位を争った。1140年のヴァインスベルクの戦いの「掛け声」からヴェルフ派をヴェルフ、ホーエンシュタウフェン派をウィーベリンと呼ぶようになり、これがイタリアに伝わり教皇派と皇帝派(ゲルフ対ギベリン)となる。
ハインリヒ獅子公はザクセン公、バイエルン公を兼ね、舅のイングランド王ヘンリー2世と結び大勢力を誇ったが、フリードリヒ1世との争いに敗れ、ノルマンディーへ亡命している。ザクセンとバイエルンは没収され、それぞれアスカーニエン家のベルンハルト3世、ヴィッテルスバッハ家のオットー1世に与えられた。
ハインリヒ獅子公の嫡男オットー4世は皇帝ハインリヒ6世の死後、ハインリヒ6世の弟で、オットー4世の岳父でもあるフィリップと皇帝位を争った。当初形勢は不利だったが、フィリップが暗殺されたために念願の皇帝となった。しかし、ローマ教皇インノケンティウス3世と対立し(この時はヴェルフ派が皇帝派となり、ホーエンシュタウフェン派が教皇派となっている)破門され、1214年のブーヴィーヌの戦いに敗れ、フリードリヒ2世に皇帝位を奪われ、1218年に失意のうちに没した。
ちなみに、オットー4世の兄ハインリヒ5世はライン宮中伯(プファルツ系ヴェルフェン家)となっていたが、1214年に家督を譲った子のハインリヒ6世が嗣子がないまま急逝したため、姻戚関係にあるバイエルン公ルートヴィヒ1世(オットー1世の子)が相続し、ヴィッテルスバッハ家が代々世襲していった。
ハノーファーのヴェルフ家
オットー4世の弟・リューネブルク公ヴィルヘルムの子オットーは、子のないオットー4世の遺領も相続してブラウンシュヴァイク=リューネブルク公を称した。この家系はブラウンシュヴァイク=リューネブルク家として、しばしば領土の分割を重ねながら続いた。14世紀にはヴォルフェンビュッテル侯フリードリヒ1世がルクセンブルク家のヴェンツェルの対立王になっている。また、17世紀から18世紀にはハプスブルク家、ロマノフ家(ロシア)、ホーエンツォレルン家(ドイツ)、オルデンブルク家(デンマーク)と縁組を結ぶなど、勢力を増している。
1692年、その分枝に属するカレンベルク侯(ハノーファー公)エルンスト・アウグストが選帝侯となった。子のゲオルク・ルートヴィヒは1714年にイギリス王位を獲得してハノーヴァー朝を開き、その血統は現在まで続いている。
ハノーファー公国は1814年にハノーファー王国となり、1837年にヴィクトリア女王の即位により同君連合を解消した。ハノーファー王国は1866年にプロイセン王国に併合されたが、最後のハノーファー王ゲオルク5世の孫エルンスト・アウグスト3世に、ブラウンシュヴァイク=リューネブルク家の別系統からのブラウンシュヴァイク公国の継承が認められ、その家系は現在まで続いている。
フェッラーラとモデナのヴェルフ家
バイエルンのヴェルフ家のクニグンデとエステ家のアルベルト・アッツォ2世の結婚により、ヴェルフ家とエステ家は合体した。しかしその権力は長男のヴェルフ4世がバイエルン公となる一方で、次男フォルコ1世がエステ辺境伯となることで、ドイツとイタリアに分割されることになる。フォルコ1世の子孫は後にフェラーラ公、モデナ公となった。
フェラーラとモデナのヴェルフ家は、1796年、モデナ公エルコレ3世がフランス革命政権に追放されて断絶した。エルコレ3世には息子はいなかったため、ウィーン会議でモデナ公国が再興された際、公位はエルコレ3世の娘マリア・ベアトリーチェとハプスブルク=ロートリンゲン家のフェルディナント・カール・アントンの息子で外孫に当たるフランチェスコ4世が相続することとなり、オーストリア=エステ大公と称するようになった。
系図
バイエルン公、ブラウンシュヴァイク=リューネブルク家
|
|
|
|
|
|
古ヴェルフ家 |
|
|
|
|
|
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|
|
|
|
クニグンデ |
|
|
|
|
アルベルト・アッツォ2世 エステ辺境伯 |
|
|
|
|
ガルセンダ (メーヌ伯エルベール1世娘) |
|
|
|
|
|
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|
|
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|
|
|
|
|
|
|
ヴェルフ4世(1世) バイエルン公 (1070-1101) |
|
|
|
|
|
フォルコ1世 エステ辺境伯 |
|
ユーグ5世 メーヌ伯 |
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|
|
|
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|
|
|
ヴェルフ5世(2世) バイエルン公 (1101-1120) |
|
ハインリヒ9世 バイエルン公 (1120-1126) |
|
ヴルフヒルト (ザクセン公マグヌス娘) |
|
エステ家 |
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|
|
|
|
|
|
|
ハインリヒ10世(傲慢公) バイエルン公 (1126-1138) ザクセン公 (1136-1138) |
|
ヴェルフ6世 スポレート公 トスカーナ辺境伯 (1152-1160, 1167-1173) |
|
ウタ (ライン宮中伯ゴットフリート・フォン・カルフ娘) |
|
ユーディト |
|
フリードリヒ2世 シュヴァーベン公 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
ホーエンシュタウフェン家 |
|
|
|
|
|
ハインリヒ11世(獅子公) ザクセン公 (1142-1179) バイエルン公 (1156-1180) |
|
|
|
ヴェルフ7世 スポレート公 トスカーナ辺境伯 (1160-1167) |
|
|
|
|
|
フリードリヒ1世 神聖ローマ皇帝 |
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
アグネス (ライン宮中伯コンラート娘) |
|
ハインリヒ5世(1世) ライン宮中伯 (1195-1227) |
|
オットー4世 神聖ローマ皇帝 (1198-1215) |
|
ヴィルヘルム リューネブルク公 |
|
|
|
|
|
|
|
ホーエンシュタウフェン朝 |
|
|
|
|
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|
|
|
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
ハインリヒ6世(2世) ライン宮中伯 |
|
アグネス |
|
オットー2世 バイエルン公 ライン宮中伯 |
|
オットー1世 ブラウンシュヴァイク公 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|
|
|
|
|
ヴィッテルスバッハ家 (ライン宮中伯) |
|
|
|
ブラウンシュヴァイク=リューネブルク家 |
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
脚注
- ^ Lexikon des Mittelalters. Bd. VIII. München: LexMA Verlag 1997 (ISBN 3-89659-908-9), Sp. 2147.
- ^ Lexikon des Mittelalters. Bd. VIII. München: LexMA Verlag 1997 (ISBN 3-89659-908-9), Sp. 2143 und 2147. -
- ^ Lexikon des Mittelalters. Bd. VIII. München: LexMA Verlag 1997 (ISBN 3-89659-908-9), Sp. 2147. - Lexikon des Mittelalters. Bd. V. München/Zürich: Artemis & Winkler 1991 (ISBN 3-8508-8905-X), Sp. 797.
参考文献
![]() |
この節には参考文献や外部リンクの一覧が含まれていますが、脚注による参照が不十分であるため、情報源が依然不明確です。
|
- 下津清太郎 編『世界帝王系図集 増補版』近藤出版社、1982年
- Jiří Louda, Michael Maclagan, Lines of Succession, Little, Brown & Company, 1981.
- Lexikon des Mittelalters. Bd. VIII. München: LexMA Verlag 1997 (ISBN 3-89659-908-9), Sp. 2147-2151.
- フリードリヒ・フォン・ラウマー『騎士の時代 ドイツ中世の王家の興亡』(柳井尚子訳)法政大学出版局 1992 (叢書・ウニベルシタス 386)(ISBN 4-588-00386-0)
関連項目
- 古ヴェルフ家
- ブラウンシュヴァイク君主一覧
- ブラウンシュヴァイク=リューネブルク
- リューネブルク侯領
- リューネブルク君主一覧
- ブラウンシュヴァイク=リューネブルク家
- ブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル侯領
- ブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル君主一覧
- ゲッティンゲン侯領
- カレンベルク侯領
- ブラウンシュヴァイク=ベーヴェルン家
- ハノーファー王国
- ハノーファー君主一覧
- ハノーヴァー朝
- ブラウンシュヴァイク公国
- オレシニツァ公国
- ゲルフ (オンタリオ州)(カナダ)
- ブルノン家(ブラウンシュヴァイク領の由来)
外部リンク
- Die Welfen(ドイツ語)
- ブラウンシュヴァイク・リューネブルク家のページへのリンク