ヴェンツェル_(ザクセン選帝侯)とは? わかりやすく解説

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ヴェンツェル (ザクセン選帝侯)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/14 03:51 UTC 版)

ヴェンツェル
Wenzel
ザクセン選帝侯
在位 1370年 - 1388年
別号 リューネブルク侯
在位 1370年 - 1388年

出生 1337年
死去 1388年5月15日
神聖ローマ帝国
ブラウンシュヴァイク=リューネブルク公領、リューネブルク侯領ツェレ
埋葬 神聖ローマ帝国
ブラウンシュヴァイク=リューネブルク公領、リューネブルク侯領リューネブルク、聖ミヒャエル教会
配偶者 ツェツィーリエ・ダ・カッラーラ
子女 ルドルフ3世
ヴェンツェル
エーリヒ
アンナ
アルブレヒト3世
マルガレーテ
家名 アスカーニエン家
父親 ルドルフ1世
母親 アグネス・フォン・リンドウ
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ヴェンツェル(Wenzel, 1337年 - 1388年5月15日)は、ブラウンシュヴァイク=リューネブルクの1人で、ザクセン選帝侯(在位:1370年 - 1388年)、リューネブルク(在位:同)。ザクセン選帝侯ルドルフ1世とアグネス・フォン・リンドウの子。ザクセン選帝侯ルドルフ2世の異母弟。

生涯

1370年に亡くなった異母兄ルドルフ2世に子がないため、後を継いだ。1376年神聖ローマ皇帝カール4世の長男ヴェンツェルローマ王選出に投票、帝国の事務に携わっていた。甥のアルブレヒト3世[1]と共にリューネブルクを治めていたが、1385年の彼の死後、女婿のベルンハルト1世[2]が反旗を翻し、1388年、ツェレ近郊のウィンゼン・デア・オーラーでヴェンツェルを打ち破った。ヴェンツェルは反撃しようとしたが、ツェレ包囲中に急死(毒殺説もある)。

ザクセンは息子のルドルフ3世、リューネブルクはベルンハルト1世とハインリヒ1世兄弟がそれぞれ治める事になった。

子女

1376年、パドヴァでパドヴァ領主フランチェスコ1世・ダ・カッラーラの娘ツェツィーリエと結婚、6人の子を儲けた。

脚注

  1. ^ 息子のいなかったリューネブルク侯ヴィルヘルム2世の外孫で、ヴェンツェルの異母兄オットーの息子。
  2. ^ もともとリューネブルク侯位を保持していたヴェルフ家の出身で、ヴェンツェルの前にリューネブルク侯であったマグヌス2世の息子。
爵位・家督
先代
ルドルフ2世
ザクセン選帝侯
1370年 - 1388年
次代
ルドルフ3世
先代
マグヌス2世
リューネブルク
1370年 - 1388年
(1385年までアルブレヒト3世と共治)
次代
ベルンハルト1世
ハインリヒ1世



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