フランスの居酒屋
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 08:01 UTC 版)
フランスではキリスト教の教会や修道院が居酒屋の起源であり、客は多くが巡礼者たちであった。しかしカエサルが紀元前1世紀にガリアに侵攻(ガリア戦争)を行った時まではビールが主に飲まれており、今日フランスの代名詞であるワインはカエサル率いるローマ人によってもたらされたものである。ワインはまず南部でのブドウ栽培が盛んになり、10世紀頃からセーヌ川やロワール川流域で王権と繋がりの深いクリュニー会の教会や修道院で盛んに醸造され、ミサなどに使用された。11世紀頃にバイキングの侵攻を受けたのを機に、現在のブルゴーニュ地方に栽培拠点を移してからはクリュニー会に異を唱えたシトー会の修道士たちによって、フランス全土に広まっていったのである。 フランスの居酒屋は、宿屋の機能を持つ「オベルジュ」や「ホテル」、大衆飲み屋としての「キャバレー」や「タヴェルン」、安価で食事を提供する「ガルゴット」、そして18世紀の首都パリ郊外で多く見られた「ギャンゲット」がある。18世紀から19世紀にかけてワインが大衆化されるようになってから居酒屋の進化が起こり爆発的にその数を増やした。「ガルコット」は「ターブル・ドート」、「タヴェルン」は「アソモワール」に呼び名が替わり、また喫煙者限定の酒場である「タバジー」、ビールを主に提供する「ビストロ」や「ブラスリ」が登場するが、実際には居酒屋の種類の境界は曖昧であった。 居酒屋の数は19世紀に激増し、1789年は10万だったのが、1830年に28万、1914年にはおよそ50万店舗にまで拡大した。パリだけでもフランス革命時代に公式で3000ほどだった店舗が、1840年代後半には4500、1870年には2万2000、19世紀末では3万に達する。パリの居酒屋は中世時代の多機能が色濃く残り、労働者たちの出会いの場や職業斡旋、ストライキの会合まで行われた。賃金が居酒屋で支払われたメタルコインの換金システムも、居酒屋の多機能性を残す要因となった。やがて居酒屋内に音楽と芸能が流入し、「カフェ・コンセール(音楽カフェ)」と呼ばれる店舗が登場してくる。1867年に芸人の衣装に関する規定が緩和されたことで、居酒屋の娯楽性はさらに高まる。1881年にロドルフ・サリによって、近代的な居酒屋であるキャバレー「黒猫」が登場したことで、居酒屋は各界著名人が集う一大サロンと化していった。
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