フランスの守備
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/01/08 06:54 UTC 版)
ロリアンは防御を準備した。大砲が船から取り外されて塁壁に取り付けられ、新しい防御工事が建設され、駐留軍がポール=ルイからの増援を受けた。10月6日には1万5千人近くの軍勢がロリアンに集まったが、経験不足な上紀律が全く成立していなかった。同日、フランスも砲撃を始めたが、フランスはイギリスのそれよりも良質な砲弾を使った。すなわち、フランスがチェーン・ショートとぶどう弾を使った一方、イギリスはボムやグレネードを使った。翌7日には砲弾約4千発がフランス側からイギリス軍に向けて発射された。またイギリス軍からの脱走者3人が捕まえられ、彼らはイギリス軍が噂された2万人ではなく3千人しかいないことを白状した。 18世紀末のブルターニュ民兵の歌Les Anglais, remplis d'arrogance, 傲慢に満ちた、イギリス人Sont venus attaquer Lorient; ロリアンを攻撃しにやってきたMais les Bas-Bretons, しかしバ=ブルトン人はÀ coups de bâtons, 彼らを棍棒で撃ちLes ont renvoyés 追い返したのだHors de ces cantons. この国々から。 10月7日の夜、イギリスの砲弾がフランスの本営近くに落ちたため、フランス側は作戦会議を開いた。ヴォルヴィールとロピタルはイギリス軍が砲撃を強めると考え、降伏を主張した。2人は自軍がイギリス軍より弱いとして自軍が勝利できると信じていなかったが、士官たちとロリアンの住民は降伏を断り、最後の銃弾までロリアンを守り続けると宣言した。しかし結局降伏が決定され、ロピタルは降伏文書をもって7日の午後7時にロリアンを離れた。しかし、彼はイギリス軍を見つけられず、午後10時にロリアンに戻った。彼はイギリス軍による策略である可能性を疑い、ロリアンの守備を増強させるよう命じた。 翌8日、フランス側はイギリス軍の軍営で大砲と臼砲を発見、同日の夜にはプロモールの住民からイギリス軍撤退の報せが届けられた。沿岸警備隊の民兵はイギリス軍の撤退を妨害したが、フランスの騎兵と竜騎兵は妨害活動への参加を断った。10日にイギリス艦隊がポール=ルイを通過するとき、フランス側は2度目の上陸を恐れて通過を妨害しなかった。ロリアンの住民もイギリス軍の増援が近くで上陸する可能性を警戒した。 包囲の報せはヴェルサイユを経由してパリに届き、フランス東インド会社の株主が警戒する結果となった。ロピタルは10月14日にパリに到着、ルイ15世に面会した。彼は自分のミスをひた隠しにし、ルイ15世に対する報告で彼とヴォルヴィールの役割を過大に形容した。その結果、彼は昇進と金銭での褒賞を受けた。
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