フランスの宗教戦争
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/12 03:54 UTC 版)
「ヨーロッパにおける政教分離の歴史」の記事における「フランスの宗教戦争」の解説
フランスにおいても宗教改革と通じる福音主義的思想が現れた。その最初期のものとしては、ジャック・ルフェーヴル・デタープルによるパウロの書簡の注解(1512年)やフランス語訳新約聖書(1523年)があげられる。しかし、パリ大学の神学者やパリ高等法院から弾圧され、デタープルがストラスブールへ亡命するなど、改革運動に迫害が加えられた。1533年にはパリ大学総長がルターに依拠して演説し、1534年にはカトリックのミサ聖祭の中止を訴える檄文事件が起こるなど、改革派の影響は衰えず、1550年代にはカルヴァンの指導下で組織化が図られるようになった。
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