フェミニリズム理論としてのケアの倫理
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/16 03:36 UTC 版)
「ケアの倫理」の記事における「フェミニリズム理論としてのケアの倫理」の解説
一部のフェミニストは、ケアの倫理は「良き女性」についての伝統的なステレオタイプを強化すると批判している。他方では、ケア志向のフェミニズムという旗印のもとに、ケアの倫理がもたらしたパラダイムを支持するフェミニストもいる。 ケア志向のフェミニズムとは、フェミニスト思想の一つであり、キャロル・ギリガンとネル・ノディングズが発展させたケアの倫理から影響を受けている。この思想は、ケアリングが社会において女性の仕事であると規定され、またそれにより低く価値付けられていることを批判する。「ケア志向のフェミニストは、女性のもつケアする能力は人間の強さであると捉え」、男性もそれを学び、女性と同じように能力を発揮することを学ぶことができるし、またそうすべきであると考える。ノディングズによれば、倫理的ケアリングは、正義の倫理に比べ、モラルジレンマについてのより具体的な評価モデルになる可能性を秘めているとされる。ノディングズのケア志向のフェミニズムは、ケアの倫理に基礎を置いた関係的倫理の実践的応用を要求するのである。 ケアの倫理はまた、ケア志向のフェミニストが母性倫理を理論化する基礎にもなっている。サラ・ルディック(英語版)、ヴァージニア・ヘルド(英語版)、エヴァ・フェダー・キテイ(英語版)といった理論家たちは、ケア労働が社会的にジェンダー規定されていることを批判し、公的領域と私的領域のどちらにおいてもケアリングがなされ、またケア提供者は評価されるべきだと提唱している。彼女らの理論は、ケアリングが倫理(学)的に重要なテーマであることを認識している。この倫理(学)におけるパラダイムシフトは、ケアの倫理が男性と女性双方の社会的責任であることを積極的に認めていこうとしている。 ジョアン・トロントによると、「ケアの倫理」という言葉の定義が曖昧である理由の一つは、それが道徳理論において中心的な役割を果たしていないからである。彼女によれば、道徳哲学を考察するということは人間にとっての善とは何かを考えることであり、そうであるならばケアは道徳哲学について重要な役目をもっていると想定されうる。しかし、実際のところそうはなっていない。その原因として、トロントは、ケアが「当たり前であること」とされている点を強調する。「当たり前であること」は社会的・文化的に構築されたジェンダー役割のことを指しており、ケアが女性の仕事であると考えられてしまっていることを意味している。これにより、ケアは道徳理論において中心的な役割を得られないようになってしまっているのだ。 トロントは次の4つがケアの倫理的要素であるとする。 注意深さ(Attentiveness)注意深さはケアの倫理において決定的に重要である。なぜなら、ケアは他者のニーズを認識し、それに応えることを求めるからだ。問題は、無関心と注意深さの欠如をどう区別するかである。トロントは次のように問う。「無関心に思える態度が、本当の無関心なのか注意深さの欠如であるのか、どうやってわかるのだろうか?」 責任性(Responsibility)ケアするためには、自らのこととして引き受ける責任性が必要である。この2つめの倫理的要素にまつわる問題とは、責務(obligation)に関わるものだ。責務は、常にとはいわないまでもしばしば、既存の社会的・文化的な規範と役割に関連付けられる。トロントは「責任」と「責務」という言葉を、ケアの倫理においては異なる概念として規定する。責任が曖昧であるのに対し、責務は行為や応答がなされるべきである状況(法律上の契約など)を指す概念である。その曖昧性により、責任という概念は、階級構造とジェンダーその他の社会的に構築された役割の中で行き場をなくしてしまい、所与の役割に適応しているだけの人たちを責任概念によって拘束してしまうことになる。 適性(Competence)ケアを提供するには適当な能力をもつことも重要である。ケアへのニーズを認識し、責任を受け入れるだけではケアをやり遂げることはできない。十分な適性がなければ、ケアに対するニーズは満たされないままに終わる。 応答性(Responsiveness)これは「ケアを受ける人に対する応答性」のことを指す。トロントによれば、「応答性はケアにまつわる重要な道徳的問題を示している。というのも、その本性からして、ケアは傷つきやすさと不平等といった条件に関わっているからだ。」彼女はさらに、応答性は互恵性とは等しいものではないとも述べる。傷つきやすさと不平等を、そういった地位にいる人々の表現・表出から理解するという方法は、自らを仮想的に別の地位に置いた状況を仮定し、相手の立場を想像するのとは全く異なった方法である。
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