ハドリアヌスの業績とは? わかりやすく解説

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ハドリアヌスの業績

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/13 05:16 UTC 版)

ハドリアヌス」の記事における「ハドリアヌスの業績」の解説

ハドリアヌスの治世において特筆すべき事柄属州メソポタミアアルメニア放棄による東部国境安定化ならびに防壁建造などの帝国周辺地域における防衛策の整備 ローマ帝国全体統合強化平準化 2度にわたる長期巡察旅行 官僚制度確立行政制度整備 法制度における改革 である。 トラヤヌスは、すでにダキア属州化していた。パルティア戦争開始後、メソポタミアアッシリアアルメニア属州とし、治世末期にはローマ帝国史上最大版図実現していた。しかし、東方隣国であるパルティアとの紛争収束させていなかった。このような状況鑑みハドリアヌス外交政策攻勢から守勢転換しユーフラテス川以東メソポタミアアッシリアアルメニア放棄して東方国境安定化図ったハドリアヌス帝国統一のためには平和が欠かせないことを充分認識しており、帝国東部以外でも帝国防衛力整備した軍事的脅威受けている地方では、防壁リメス)の構築あるいは天然要害によって帝国防衛することにした。なかでもカレドニア人との紛争続いていたブリタンニア北部に「ハドリアヌスの長城」として知られる防壁構築したゲルマン人との境界ライン川ドナウ川地域そのほかアフリカでも防壁構築されている。そして、皇帝自ら軍紀徹底図り巡察旅行中現場で兵士訓練を親覧し、直接指示出したりした。また、軍団地元兵士採用することによって、軍団徴募安定化させ、経費節約図ったパルティア問題収拾させたあと、帝国内の諸問題取り組む。まず属州対す姿勢変更した属州重要性強調し開発推進する同時にイタリアとの一体化努力傾注したこのためハドリアヌス自身2度わたって長期巡察旅行発輦した。この旅行目的は、帝国防衛再整備帝国行政調整統合象徴として皇帝周知帝国各地(とくにギリシア化していた地域)の巡察にあった巡察旅行には建設関係者をも随伴していたといわれ、公共工事行われた次にハドリアヌス統治機構整備した彼の構築した官僚機構以降帝国基礎となる。 ハドリアヌス法制度の整備推進する。サルウィウス・ユリアヌスに命じて、『永久告示録』と呼ばれる法典編纂させた(完成131年頃、6世紀まで使われた)。これは、法務官出した従来告示属州総督属州審判人の法源)を集大成したのであるユスティニアヌス時代には、これらを基に『ユスティニアヌス法典』(別名『ローマ法大全』)が編纂された。 130年エルサレム市をローマ風の都市建設、自らの氏族名アエリウスにちなん植民市アエリア・カピトリーナ」と命名し、さらに132年には割礼禁止した。そのため、ユダヤ人大規模かつ組織的な反乱発生したバル・コクバの乱呼ばれるハドリアヌス他の属州からも軍団動員し135年にようやく反乱鎮圧した3年以上を要したことになる。この戦争の終結機にユダヤ地方は「属州シリア・パレスティナ」と名称が変更され、この地からユダヤの名が消えたユダヤ人離散ディアスポラ)を余儀なくされ、以後エルサレム市内への立ち入り制限された。

※この「ハドリアヌスの業績」の解説は、「ハドリアヌス」の解説の一部です。
「ハドリアヌスの業績」を含む「ハドリアヌス」の記事については、「ハドリアヌス」の概要を参照ください。

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