ハドリアノポリスの戦いとウァレンスの死
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/10/26 00:32 UTC 版)
「アルビア・ドミニカ」の記事における「ハドリアノポリスの戦いとウァレンスの死」の解説
378年8月9日、ハドリアノポリスの戦いにおいてウァレンスはゴート族に敗北した。ウァレンスの死について詳しい状況は伝わっていない。ゴート族はさらに東進し、コンスタンティノープルを攻撃した。軍を率いる皇帝がいないため、皇后ドミニカが反撃の指揮をとることとなった。ドミニカはゴート族との戦いに参加する意志のある市民にも皇室財産から賃金を支払った。 夫の死後、ドミニカは摂政として事実上帝国を支配し、皇位継承者であるテオドシウス1世が到着するまでゴート族の攻撃からコンスタンティノープルを守った。ドミニカの没年とその状況については伝わっていない。ソクラテスおよびソゾメノスによると、ドミニカはゴート族の侵略からコンスタンティノープルを守るため、市民兵を募り、その賃金を通常の兵士と同じだけ支払うようにし、その資金はドミニカの管理する皇室財産から出されたという。
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