ナッの性質
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/20 14:20 UTC 版)
ナッは人間の目に映らない存在だとされている。ナッは人間の守護霊でありながら、人々が供え物を怠り禁忌を犯した場合には災厄をもたらし、時には気分次第で不幸を呼び寄せる存在として畏怖されている。ナッの種類には家屋や村落の守護霊のほか、親から継承するものも存在する。ナッが支配下に置いている人間から供え物を受け取る関係はサインと呼ばれ、前の世代の人間が結んでいたサインの関係はヨウヤーナッ(ビルマ語: ရိုးရာနတ်、IPA: /jójà naʔ/; 血筋によるナッ)として子孫に継承される。 ナッの神格は自然物に宿るものから擬人化されて個性を与えられたものまで多岐にわたり、非業の死を遂げた人物の中にはナッとして祀られた者が多い。権力者への反逆の結果非業の死を遂げた人物の伝説を祭礼で再現することは支配権力への反抗の結果を人々に知らしめるとともに、反抗の象徴的表現を認めることで権力者や支配への不満を和らげる効果もあった。 ミャンマーの寺院には多くのナッの像が置かれており、中でも37柱のナッが重要視されている。初期のナッのパンテオンには36柱のナッの頂点にマハーギーリーが置かれていたが、36という数字は世界を4、もしくは4の倍数に分割するヒンドゥー教・仏教の世界観に基づくと言われている。アノーヤターは仏教の帝釈天・ヒンドゥー教のインドラに相当するダジャーミンを36のナッの上に置いてナッ信仰が仏教の下位にあることを示した上で信仰を認め、37柱のナッの像をシュエズィーゴン・パゴダに置き、ナッが仏教を守護する存在であることを表した。パンテオンを構成する37柱のナッは時代・地域・ナッのリストを編纂する人間によって異なり、37柱のナッのリストの編纂は王朝時代から続けられている。1820年にコンバウン王朝の宮廷で作成されたリストのナッはダジャーミンを除いて全て非業の死を遂げた人間の死霊で、うち15体はアヴァ王朝、タウングー王朝の人物だった。16世紀までは37柱に含まれるナッの交代がたびたび行われていたが、王権の介入が強まる17世紀以降、新規のナッが37柱に編入される現象は見られなくなる。 家の守護神であるマハーギーリーは、王によって火刑に処されたタガウン王国(英語版)の鍛冶屋と彼の後を追って火に飛び込んだ妹の精霊であり、パガン王アノーヤターによって土着のナッの頂点に据えられた。パガン王朝の成立前にはエインサウン・ナッというナッが家の守護神とされていたが、アノーヤターによる宗教改革によってマハーギーリーが各家庭で祀られるようになった結果、二つの神は同一視されるようになったと言われている。家の南東の柱には赤い布を被せたココヤシが吊り下げられていることがあるが、これは家のナッへの供え物、家のナッの住処、家のナッの象徴を兼ねている。家内のナッを祀る棚は仏陀を祀る棚の下に置かれるが、これはミャンマーでは仏教がナッ信仰の上位に置かれているためである。 村の守護神であるイワソーン・ナッは村の外れで祀られ、穀物の神ナジーと土地神ブマディは収穫の直前に行われる祭りの主神とされている。村の守護神の支配領域は村落内に限られており、ミャンマーの人間は遠出をする時には自分の土地のナッを鎮撫するためにフトモモの木の枝を乗り物に括り付けることがある。田植えの時期には田のナッと土地のナッに供え物が奉げられ、雨乞いの時には雨のナッ(テイン・ナッ)を興奮させるために綱引きが行われる。
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