デジタル音楽制作技術の導入
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 08:41 UTC 版)
「J-POP」の記事における「デジタル音楽制作技術の導入」の解説
CDをはじめとしたデジタル技術は音楽制作現場においても革変をもたらした。これまでテープの切り貼りなどアナログ的な技術で行っていた編集作業はデジタル技術によるものへと移行し、音楽制作に要する人・時間・予算の大幅な削減を可能にし、またいくらコピーしても劣化がなくなり、やり直しも簡単に行えるようになった。またシンセサイザーやシーケンサー、MIDI楽器の普及により、一部については楽器の演奏を行う必要すらなくなった。MIDI音源として低価格で高性能な製品が発売され、DTMブームも起きた。 そしてコストダウンと作業の迅速化により、工業製品の如く楽曲の量産が可能となった。この結果レコード会社側も、売れるか売れないかもわからないミュージシャンについて気軽にCDを作成することができるようになったようで、日本レコード協会の『日本のレコード産業』によれば、1991年の1年間で実に510組のバンド・歌手がデビューしている。 また、シンセサイザー等の技術にいち早く注目し実際に成功を収めたミュージシャンやコンポーザとしては小室哲哉やつんく♂などが挙げられる。しかし、制作環境のデジタル化に伴いそれまで製作現場で実際に楽器を演奏していたスタジオミュージシャンの仕事が激減するなどの弊害も生まれた。こうした制作環境の変化に伴う大量生産による音楽制作は確かにミリオンヒットが出現する確率は高まるが、没個性化・質の低下が進み、音楽が消耗品として見られるようになるなど、批判の声もある。ソニー・ミュージックエンタテインメント(当時)の坂本通夫は、1991年を音楽業界の転換点として「音楽が作品から商品に移り変わった時」と語っている。 またCDの普及は聞き手側の負担をも削減した。従来、レコードを再生するステレオは良い物で25万円、普及品でも十数万円し、取り扱いも煩雑であったものが、CDプレイヤーはポータブル型であれば1万円を切る価格で購入できたのである。実際に1984年から2004年にかけての20年間で3737万台のCDプレイヤーが出荷されているが、従来のレコードプレイヤーは42年かけて2341万台しか出荷されていない。さらにCDプレイヤーとは別に、「CDラジカセ」が1986年から2004年にかけて、5225万台も生産されている。CDミニコンポは1990年から2004年までに3028万台が出荷。累計すると2004年までに1億1990万台、うち92%にあたる1億1032万台がミニコンポ・CDラジカセ・携帯型と言った安価なものである。ちなみに1985年に発売された最初のCDミニコンポの価格は25万円程度であったが、1987年には10万円を切る価格となっている。1985年春、オーディオメーカー「パイオニア」の常務は朝日新聞紙上で「この1年間で大型のシステムコンポはほぼ無くなり、10万円程度のミニコンポにとって変わった。需要の95%はミニコンポである」と語っている。音楽再生装置は大衆化を成し、一家に一台から一人一台の時代へ足を踏み入れる。オーディオは高級な趣味ではなくなり大衆化し、十代の若者や女性も音楽業界の顧客となった。その結果女性向けの「ガールズ・ポップ」などといったジャンルも誕生していく。
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